ムツボシくんの仙台全盲物語
むつぼしくんが飛行機に乗っている画像
2013年12月2日

だれもが共に遊べる「共遊玩具」って知っていますか?

 ハーイ!ムツボシくんです。今回はおもちゃの話…。「共に遊ぶ・共に生きる」というテーマで11月16日、高橋玲子さんの講演を聞きました。

 高橋さんは、全盲の素敵な女性。株式会社タカラトミー社長室の共用品推進課係長なのであります。高橋さんの話によりますと、30年ほど前、目の見えない子どもや耳の聞こえない子ども専用のおもちゃが作られた時期があったようです。でも、それは少量生産だったため、値段も高く、簡単に手に入れることはできませんでした。「本当に専用が必要なのだろうか」「市販の玩具に一工夫すれば、障害のある子どもも、ない子どもも、一緒に遊べるおもちゃが作れるのではないか」。その発想から「共遊玩具」という発想が生まれてきたとのことです。

 「共遊玩具」は、子どもだけではなく、子育てをする、目や耳の不自由なお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんも扱いやすい、みんなに優しいおもちゃとなります。例えば、スイッチのオンの位置に小さな凸の点があるだけで、手で触ってスイッチが使えるようになります。見えなくても表面と裏面が区別できるように、それぞれの面の感触を変えればいいのです。

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とてもリアルなカマキリ。本物をさわるのはちょっとだけど、これなら隅々までよくわかる(タカラトミーアーツ社「昆虫の森」シリーズより)

 高橋さんが勤務されているタカラトミーだけでなく、多くのおもちゃ会社が共同して「誰もが遊べる工夫とその規格作り」がさらに進むとムツボシくんもまた子どもに戻ったつもりでおもちゃと遊べそうです。そういえば、ムツボシくんの子どもの頃はプラモデル全盛期。見えないとさすがにひとりで作れませんでした。人生ゲームも番がきたらサイコロを振るだけ、もうひとつゲームの醍醐味を味わった記憶はありません。

 最後に、高橋さんのお父さんが、子どもの高橋さんのために自作された「共遊オセロ」を見せてもらいました。見えなくてもオセロができるように手作りの工夫が満載のオセロです。白と黒の石が手でわかるように白に凸点をつけてあります。またマス目がわかるように区切り線には細井棒が貼り付けてありました。なんと、この高橋オリジナルオセロを真似したのでしょうか、この数年後、同様の工夫をこらして視覚障害者にも遊べるオセロがツクダオリジナルから鳴り物入りで日本点字図書館から発売されるようになったのでした。

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これが、お父さん自作の手作り高橋オリジナルオセロ、見えなくても遊べる!

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その後市販されたツクダオリジナルのオセロ。そっくりである!

 2時間の講演でしたが、内容はもちろん、高橋さんのお声の美しさにもムツボシくんは大感動!、ちゃっかり高橋さんとのツーショットをおねだりしてみたのでありました。

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高橋さんとムツボシくんのツーショット

 なお、高橋さんの思いの一端はこちらでも配信されています。素敵なお声も聞こえてきますよ。

●交通バリアフリーから共生社会を考えよう! -誰もが どこでも 行きたいところへ
http://www.bfed-jrhigh.jp/various_people/dream/index.html
2013年11月20日

見えなくても誰でも麻雀が楽しめる方法を学生が模索中…

 ハーイ!ムツボシくんです。宮城教育大学の視覚障害教育教員養成コース4年のMくんは、ただいま見える人も見えない人も誰でもが一緒に麻雀ができる方法を模索中です。

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麻雀のバリアフリーに取り組むMくん。ムツボシくんの前にあるのが手元を隠すガード。

 麻雀といっても一つのスポーツ。見えなくても対等にできるルールが求められています。東京では、すでに、日本健康麻雀協会が視覚障害者も楽しめる点牌教室(品川区)を定期的に開催しているとの情報をゲットしたMくん。早速、その教室にも出かけてきたとのことでした。

 麻雀を視覚障害者で愛好する人は少なくないようで、日本点字図書館(東京都新宿区高田馬場)では牌の柄面に貼る点字シールも売られています。そんなシールがなくたって指の腹で触れるだけでわかるという「盲牌」という技をお持ちの強者の方もおられるのです。ただ、初心者やまだまだ点字が達者じゃない人には難しいところもあるようです。

 Mくんによると、牌の点字は親指の腹で読めるのがベストなのですが、販売している点字シールは自動麻雀卓にも使えるように点字の高さがかなり低くなっており、親指では触読がにわかには難しいようです。

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ムツボシくんも点字付き麻雀牌でゲームに参戦。親指読み取りには時間がかかりました。

 そこでMくん、まずは親指で触りやすい麻雀牌点字シールと、「あがり方の役の点字一覧表」をただいまそれぞれ作成中。また見える人とのゲームでは手元を隠すための改良版ガードも作成中。さらに、ルールの見直しとして、捨てる牌は必ず声に出すのはもちろん、これまでの捨て牌の読み上げは随時必要に応じて要求できるといった、できるだけ対等になるルールのあり方を模索中なのであります。どこまでMくんによって、麻雀のバリアが取り除かれるか、ムツボシくんとしても実に楽しみなのであります。

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あがり方を考えての分類中。でもこれって見られちゃだめだよね。

2013年11月8日

プレイ・イン・ザ・ダーク 〜見えない世界で遊ぼう! 宮教大学園祭〜

 ハーイ!ムツボシくんです。秋ですね。秋といえば学園祭。ムツボシくんがいる宮城教育大学でも去る10月26〜27日、青葉山キャンパスにて学生達が弾けておりました。

 さて、わが長尾研究室では、プレイ・イン・ザ・ダークと称して「見えない世界の体験」を、26日、視覚障害教育の教員養成コースの学生たちと企画しました。

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こちらがプレイ・イン・ザ・ダークの会場

 会場に入ると「点字魚釣りゲーム」コーナーがお出迎えです。磁石で釣り上げた魚を裏返すと、そこには点字が書かれているではありませんか。これを掲示してある点字一覧表を見ながら解読できるかどうかといったゲームです。釣り上げた魚には、「タイヤキ」とか「タコヤキ」、「カメ」など魚じゃないものもあります。そうするとやり直し…、再度チャレンジとなるのです。

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これが点字魚釣りゲーム

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おっと大成功!ちゃんと点字で「サンマ」と書いてありますよ

 魚釣りに成功したら、アイマスクによるコーヒー作り体験コーナーへどうぞ。見えなくても意外とインスタントコーヒーがポットのお湯で作れるじゃん!という体験をしてもらいます。えっ、お湯も目隠しで入れるの?と思われる方、危ないじゃん!と思われる方、いえいえ、それがそんなことないのです。約30名弱の方に体験いただきましたが、お湯を手にかけたり、あふれさせたりした型は皆無。みなさん、とってもお上手に紙コップにコーヒーを作られたのです。「お湯入れ、コップに伝わる熱でだいたいわかったよ」とか「重さが加わってくるからわかるものだね」などと、みなさん、「意外とできるね」という感想をもっていただけたようです。スプーンでボトルから紙コップに粉を移動させるのも、スティック砂糖をコップに入れたり、そのゴミをゴミ袋に入れるのも、みなさん、思ったよりもスムーズな動きでクリアされました。知らず知らず、「フタの位置覚えておかなきゃ」とか「そっと手を動かさないと倒しちゃうな」など、みなさん自然と工夫をし、だれ一人、大きくテーブルを汚す方はおられませんでした。

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見えなくても工夫してできちゃうアイマスク・コーヒー作り

 最後のコーナーは、点図の印刷体験と、ビデオによる見えない世界の紹介コーナーです。子どもたちに人気のアニメ・キャラクターが点字の線で図になって印刷されるコーナーは、予想通り子どもたちに大人気でした。中でも一番人気はやっぱり「アンパンマン」と「食パンマン」、そして「リラックマ」でした。

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点字プリンタからはき出されてくるアニメキャラの点図(お土産にどうぞ)

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これが点字の線で描かれたアンパンマンの点図データ

 その横のパソコンでは、短いビデオを上映しました。見えなくてもこんなことができるという世界をみなさんに紹介したかったからです。例えば、多くの方が驚かれたのが、全盲の岡田定子さんによる「編み物」の実演ビデオです。下の写真をみてください。カラフルな立体的なお花の模様付き座布団が彼女の作品です。この座布団を編んでおられる岡田さんのビデオでは、頭の中でイメージした通りの模様と毛糸の色を変えながら素早く手が動く様子が見られます。「速すぎてどんなふうに手が動いているのかわからない」という感想が出るくらい鮮やかな見えない世界の名人芸でした。

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お花を象った毛糸の座布団(ある全盲女性の編み物作品)

 ビデオは、この他にも、「パソコン操作の実演」、「子どもによる点字読みの実演」、「全盲女性の包丁使いとお料理」などを見ていただきました。

 1年〜3年の学生も各コーナーに張り付いて大活躍。彼女らにとっても、見えない世界でどう楽しむのかの説明、お客様とのコミュニケーション、また子どもたちに興味をもってもらうための接し方など、とてもよい勉強の場となりました。また、さらにバージョンアップした「プレイ・イン・ザ・ダーク PARTU」を来年もご用意します。ぜひ宮教大の来秋の学園祭にご注目ください。

2013年10月13日

いまから63年前の『点字絵本』を復刊!

 ハーイ!ムツボシくんです。

 とても貴重な点字の本が宮城県立視覚障害者情報センターの書庫に眠っていることがわかりました。尾崎銀治著「点字の絵本」(第1集〜第3集)です。なんと昭和25年7月〜10月にかけて日本愛盲協会から発行されたもののようです。著者の尾崎は「点字絵本出版について」と称するはしがきの中で、「人間は絵の中に生まれ、絵とともに育ち、絵とともに生活しているのであります。それなのに、今、盲児のことを考えてみますと、人生のはじめから絵画による訓練を受けず、ほとんどその感化を受けていないのであります。(中略)  玩具の乏しい、良き遊びの少ない盲児に、普通児の絵本なみとは行かないまでも、せめて触覚による絵本を作成してさわって楽しみ、そして理解の助けとなるものがほしいと思ってこの触画絵本を出版することにしたのであります」とその熱い思いを述べています。これが昭和25年の言葉であることに驚きます。

 戦後間もないこの時期に尾崎がこの絵本に託した思いをこのまま眠らせてはいけないと考えました。

 そこで、点図ソフト「エーデル」に興味をもっていただいた宮城県の点訳ボランティア琵琶名里子さんの手により、このたび、「点字絵本第1集」の復刻版を完成することができました。エーデルブック形式もありますので、ぜひ興味のある方はお近くの点字印刷サービス機関にてご相談ください。

 四角や三角などの単純な図形から、「くっついた5つの真四角」などといったもの、「交わりあった4つの円」、「風車」や「日の丸の旗」なども図案化されています。絵本と題していますが、物語はありません。形を触ってイメージするための教本的な雰囲気が強いものです。 「点字絵本第1集」のダウンロードは、「ちょっとおもしろ点訳データ集」からできます。第2集、第3集もまもなく公開します。ご期待ください。


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★これが書庫に眠っていた昭和25年発刊の点字絵本第1集〜第3集


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★復刻版から「日の丸の旗」のページ
2013年9月30日

シャガールの前で思わずしゃがーむムツボシくん

 ハーイ!ムツボシくんです。今年度3回目となる視覚障害者と楽しむ美術鑑賞会。今回は宮城県立美術館にシャガール展を訪れてみました。

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シャガール展の前でしゃがーむムツボシくん

 さて、名前だけは聞いたことあるけど、果たしてその実体は?となっちゃう画家の最右翼がシャガールだったムツボシくん…。さっそく二人の見える方とフロアを回りました。

 ムツボシくんが理解したことはこんなことです。シャガールは青色がお好き、「シャガールブルー」っていう言い方があるようです。それと、やたら、人物や花などを空?に飛ばすのもお好き。まるで坂上二郎の「飛びます・飛びます!」みたいですね。見える方に、私の指をもってもらって輪郭を空書してもらうととてもよく構図がつかめました。

 どんな色でどんなものがどこらあたりに描かれているのか、これらについては言葉の説明と空書きでかなりわかります。これは前回のゴッホと同じです。まずはそれだけでも、つまりは知識を得るだけかもしれませんが、「えっ?そんなところに魚が飛んでいるのですか」「あのう、女の人のお腹の中に、ピアノを弾いている人がいるのですか」…。予想を超える構図に出会う驚きには楽しさを感じます。一緒に回ってくださっている見える人が「これ、牛?」。もう一人の方が「山羊じゃない?」と会話されているのもまた楽しいものです。「ねえ、どうやって、何を決め手に見える人は、牛とか山羊とかを判断してるの?」なんて質問もできるからです。

 でも、見える人が、「あっ、私、この絵、好きかも…」といわれる時、この感性は残念ながら今回の鑑賞会でもムツボシくんには理解の範囲を超えていました。「この色遣いが好き」と今回ご一緒くださった見える方がおっしゃっていましたが、「どのあたりがいいんですか?」と私がお尋ねしても、「うーん、言葉での説明は難しいですね」となります。

 全盲者にとっての言葉による美術鑑賞。「この絵、好き」とムツボシくんも心から言える日がやがては来るでしょうか。音楽だったり、お料理だったり、触り心地だったり、声だったり、しゃべり方だったり…。これらにはみんなばっちり好き嫌いがあるんですが。やはり、絵画のような視覚を通してくる美醜を視覚以外の別の知覚に変換しちゃうと、その瞬間に、好き嫌いという感性がぬぐわれてしまい、知識だけが残っちゃうのでしょうか。ムツボシくんは、今しばらくこのテーマ、追い続けてみることにします。

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これが代表作、パリ・オペラ座の点状絵(最終下書きのポスター)。
十数名の音楽家の名前とその代表作をイメージした絵が演習場に描かれている(火の鳥、白鳥の湖、魔笛など)

2013年9月24日

ガスト再訪 これが封印されていたガストの点字メニューだ!

 ハーイ!ムツボシ君です。もう少しこの話題でひっぱります。前回の9月6日「封印されていたガストの点字メニュー」をまだお読みじゃない方はぜひそちらからお読みください。

 行ってきました、行ってきました、ガスト仙台北四番丁店。あのとき写真を取り忘れた点字メニュー、今もちゃんと存在しているでしょうか。

 ありました、ありました、前回ご報告しました点字メニュー、まずはこちらの写真をご覧あれ…!

写真1
これが立派な表紙の点字メニューです


 さぁて、入店し着席するなり、高らかに聞いてみたのであります。「点字メニュー、こちらにはあると伺って来たのですが、ございますでしょうか…。あるようでしたら、見せていただきたいのですが…」と。今度はお兄さんでした。ちょっと自慢げな声で、「すぐ、お持ちします」ですって…。そして、本当にすぐに出てきたではありませんか、まさに、あの時と同じ雰囲気の手触りメニューです。

 ムツボシくんもワクワク。前回、親切なお姉さんが、「ちゃんと読めますように…」とビリビリに引き裂いてビニール袋から出してくださった点字メニュー。そう、封印を解いてくださったあの点字メニューとの再会であります。開いてみました。ジャジャジャーン!

写真2
ありました、ありました、ビリビリの残骸ビニール。

 これが点字メニューです。ちゃんと、「ノド」のあたりに引き裂かれた残骸ビニールが残っています。「ああ、あの日のままなんだ…」と、なんか、ホッとしたような気もしつつ、なんで、きれいにあのあとこのビニール、取っておかないの?なんて微妙に疑問も感じながら、点字メニューをめくってみると、後ろにもありました、ビニール袋の裏面の残りが…。

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2枚の点字メニューを包んでいた袋。裏側にはしっかり片面ビニールがまだありました。

 こうなると、いつまでこの残骸ビニール付きの点字メニューがここのガストに生き続けるのだろうという別の興味もわいてはきましたが、それにしても、表紙のネジを外して、アルバムの台紙の取り外しのように残骸ビニール袋を取り去ればいいだけなのに、なんでそれをしないのかな…? みなさんは、いかがお考えになりますか?

 もしかして、いまだに、このビニールも点字メニューの一部分だと信じている?、だから取り去って捨てちゃうなんて思いもつかない…。それとも、メニューはメニューでも点字のものなんぞは、お店の大事な‘顔’とは思ってもいない…。

 さすがに、ムツボシくん、なにも注文しないわけにもいかず、「デザート・ドリンクセット 313円」なるものを点字メニューからチョイス。オーダーしてみたのであります。すると、「すみません、そのメニューは現在使われておりません」ですって。あのね、お兄さん、それじゃまるで電話機の自動応対じゃありませんか。でも、「クスッ」 ちょっとばかりおもしろい。しかたなく、単品でアップルパイを頼んだのであります。

 全盲のみなさん、ガストでアップルパイにはご用心…!なんと出てきたのは、丸い大皿にお好み焼きのようなアップルパイが登場!えっ、これってナイフで切りながら食べるのとなかば唖然としつつも、ナイフを手に切ろうとしたら、ナイフをパイにかざした手になにやら冷たいものがベチャ。そうアイスクリームが中央に鎮座しておられたのであります。ナイフを握る手はネチャネチャ。切り取ったパイだってなかなかフォークでは引き上げられず、それはそれはまたまた四苦八苦のガスト体験となったのでありました。(あのね、ムツボシくんがデザートでなんでアップルパイを頼んだか、お兄さん、わかる? 全盲なので、できれば手でもって食べても少しは許される程度のみっともなさのものとしてアップルパイにしたんじゃないの。だって、普通、アップルパイ、ちゃんとリンゴを包んで持ちやすくなってるじゃないの…。ああ、それなのにガストくんったら…)

 追伸、ちなみに、お隣の「ステーキ・ガスト」には点字のメニューは存在しませんでした。このステーキガスト。入った以上は何か注文しなきゃと思い、店員のお姉さんにメニューを読み上げてもらっていたのですが、なんと、私が迷っていたら、「えっと、一番お安いのは、ただのチキンステーキです」って向こうから言われちゃいました。おいおい!と思いつつも、お金、持ってなさそうに見えたんだなとここは自重。お姉さんのお薦め通りにただの何の工夫もないチキンステーキを単品でいただき帰ってきたムツボシくんでありました。
2013年9月6日

封印されていたガストの点字メニュー

 ハーイ!ムツボシくんです。今回は仙台市のファミレス「ガスト」で体験した点字メニューにまつわるお話です。

 9月6日、点図の勉強会を終えたムツボシくん、ボランティアとともに、ガストの仙台北四番丁店に入店。昼食にしようとしたのでありました。最近はこのようなファミレスチェーン店には点字メニューが備えられつつあるのです。期待はずれを覚悟して、「点字メニューって、ありますか?」と聞きますと、なんと、あわてるふりもなく、「しばらくお待ちください」と来たではありませんか。ガストにはちゃんと点字メニューがあるんだと、ちょっとワクワクしながら待っていたのであります。

 まもなくして手渡されたのはそれはそれは立派なハードカバーの点字メニューでありました(写真を撮っておけばよかったのですが…)。

 「あのう、載っているメニューは古いものもありますので、現在のものとは異なるかもしれませんが、ご了承ください」。

 まあ、これはよくあることです。この夏限定メニューといったタイムリーなメニューごとにまでは、点字メニューはたいてい用意されてはいないものです。

 革張り風の表紙をめくってみました。オー、なんと、これは、地域の点訳ボランティアが頼まれて作ったというようなものではありませんでした。表紙の中から現れたのは、しっかりした、おそらくは透明のビニールのカバーというか透明の袋に入った点字らしきものが数枚、そう、袋ファイルみたいな感じで綴じ込まれています。さっそくその袋から取り出そうとして四苦八苦、これがなんとどうしても出てこないのであります。えっ、これってどうやって読むの?、まさかこの袋に入ったまま、袋の上から触って読めということ?、でも、それにしてはビニールは分厚すぎます。デコボコは感じても点字の1点1点は分離しては感じられません。

  「あのう、この袋から出してもらえますか?」とお店のお姉さんに聞きますと、お姉さん、「はい、わかりました」というも、お姉さんも四苦八苦…!、うまく取り出せません。
 とうとう、「しばらくお待ちください。」という言葉を残して、一旦お姉さんはメニューをもってひっこみました。

 そして、やがてあらわれたお姉さん!
 「あのう、このまま読んでください。」ですって…?
 ムツボシくん、これを聞いて、おもわず絶句!
 空いた口をそのまま閉じるのも悔しく、「点字は得意なんですが、これが、このまま読める人は500人に1人くらいですよ。私はこのままでは読めません」と伝えました。
というと、お姉さんも、少しは無理を言ったかなとでも思ったのでしょうか。「そうですよね…」、ですって…。 (おいおい、無理だと知ってて開き直っていたんかい?)と少し関西弁でついついお下品なつっこみを心でしつつ、そこは、いつ、どんな出会いがあるかをもとめているムツボシくんとしては、グッとガマン…!

 「しばらく、お待ちください。」と、お姉さんはまたメニューをもってひっこんだのでありました。

 数分たったでしょうか、「はい、こちらをお使いください」という声に振り向くと再度点字メニューが手渡されました。開いてみると、なんと、あのビニール袋がビリビリにやぶられていたのです。そして、無事、その中にあった点字のメニュー2枚が顔を出していました。もちろん、ちゃんと読めました。でも、その破り方がみなさん、まさに、ビリビリとひきさいたみたいでした。せめて、おねえさん、ハサミを使うとか、ビニールのこの引きちぎった残骸だけはとりのぞいておくとか、もっとやりかた、あったんじゃない?と心の中だけのつっこみを再度しつつ、点訳ボランティアの方と苦笑いを隠せませんでした。
 ちなみに、この点字メニュー、まったく役に立ちませんでした。一般的なことばかりで、なにを注文していいか、これじゃわかんないって代物でした。なんたらセットには、スープ、サラダがつくといくらといったシステムの説明みたいです。実際になにがあるのかが具体的にわからないんです。
 それにしても、おしいことをしました。あのビリビリ付きの点字メニュー、写真にとってきたらよかったなあと思いつつ、なんでこんなことになっていたのかを考えてみました。あの最初に出てきた点字メニュー、袋付きの点字メニューですが、きっと、ガストの本部からとどいたもの、そのままだったんでしょうね。どこかが一斉に製作して各店舗に配布、納品状態そのままに、点字の摩耗を防ぐためのビニール袋が着いたままだったんでしょう。そして、ムツボシくんが初めて、この店での点字メニューの封印を解いたことになったというわけなんでしょう。
 次回、入店のときにはきっと写真撮ってきますね。そう言えば、隣には「ステーキガスト」!  あそこの点字メニューも、おそらく封印はまだ解かれていないかもです。
2013年8月27日

障害のアル/ナシを忘れて地域で生きるってこんなことなのかな… 〜ムツボシくんの古里近江に「コミュニティカフェ・スマイル」を発見〜

ハーイ!今回はわが古里滋賀県からムツボシくんです。8月12日、滋賀県立盲学校時代の同僚がすてきなカフェをこの春からオープンしたとのこと、早速、お墓参りの帰りに訪ねてみました。ここがその、コミュニティカフェ「スマイル」です。

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これがスマイルの全体像の画像

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スマイル入り口付近 点字ブロックの画像 これなら一人で行けるかな?


 オーナーの大西さんとはムツボシくんもひさしぶりの対面、盲学校で一緒に仕事させていただいていた時とちっともお変わりのないすてきなお声で店内を案内してくださいました。

写真3
オーナーの大西さんとのツーショットの画像


  「人と人のつながりを大切にした笑顔あふれるお店にしたい」という大西さんの言葉通り、お店の中には「コミュニティ」を感じるものがいっぱいありました。

 地域の作業所の商品から近所の80歳のおばあさんが作って持って来るクッキーまで、まるで朝市状態の即売場の充実ぶりはすごいです。このおばあさま、「毎日、ここに並べてもらうのがうれしいの」といって持ってこられるそうです。また、自由に手に取って鳴らしてもよいギターやウクレレなどの楽器類も壁に並んでいます。

 1階では50名程度のキャパで、ミニコンサートが毎週のように開催されています。音楽好きの仲間が集まってそれぞれイベントをここで開くようです。もちろん、障害のある方のバンドもたくさん集まってきています。このカフェを中心に、障害のアル/ナシにかかわらずすてきな音楽の輪が地域に広がっていき、地域をひとつにしていくような気がしてきました。

 先日、25日に開かれたムツボシくんの母校・滋賀盲卒業生を中心に結成されている「ラニ・ハワイアンズ」のコンサート風景の写真が送られてきました。あれれ、Youtubeにこのコンサート風景がもうアップされているではありませんか。


YouTube マリヒニメレ by ラニハワイアンズ
http://www.youtube.com/watch?v=gPoYJ_Wwqbo



YouTube テネシーワルツ by ラニハワイアンズ
http://www.youtube.com/watch?v=KNEaA92Aid4

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ムツボシくんの母校の卒業生バンドから発展した「ラニ・ハワイアンズ」のコンサートの画像


 2階では、バンドの練習場として、そして時にはギャラリーとして様々な展示会も開かれているとのこと。8月24日〜31日まで、養護学校卒業生の絵画展が開かれたようですよ。まさに、1階も2階も音楽イベントや手作り作品のスペースとしてフルに活用されているのがここ「コミュニティカフェ・スマイル」なのでした。もちろん、お昼の「気まぐれランチ」から夜の一品メニューまでお食事やちょっと飲みたい方にもおすすめ、点字のメニューもバッチリあります。

写真6
2階スペースの画像 ここがバンドの練習場にもなる!

写真7
養護学校卒業生の絵画展の画像



 夏にピッタリのハワイアンを聞きながらムツボシくんも考えました。フラっと立ち寄れるこんなカフェがあって、優しく迎えてくれる人がいつもいて、愚痴も言える仲間がいて、ねえ、なんかイベントやろうよ、なんて声も飛び交うスペース。おばあちゃんが「これ、食べて!」って顔を出したり、全盲女性のピアノに合わせて地域のみんなで歌声喫茶。何枚も鎧をつけて出かけてきた世の中からの帰り、みんなみんな脱ぎたいものを1枚ずつ脱がせてくれるスペース、コミュニティカフェ・スマイルには「地域で生きる」ってことをかんがえさせる何かがあります。ぜひ、滋賀県のJR近江八幡駅周辺に立ち寄られる際にはこのカフェをのぞいてみてください。

コミュニティカフェ・スマイルはこちら!

住所 滋賀県近江八幡市日吉野町791
電話 0748−32−0350
営業時間 11時〜21時
定休日 火曜日
http://smile2013.web.fc2.com/smile.index.html
2013年8月20日

視覚障害者必触!これが「手でみる博物館」だ

 ハーイ!ムツボシくんです。

 今回はかねがね訪ねてみたくてしかたがなかった「手でみる博物館」。ついに到着。8月7日の訪問記です。
 
 なんと博物館なのにガラスケースのひとつもない、すべてが手で触れられるという世界でも唯一の博物館なのです。

 1981年、桜井政太郎さん(元盛岡視覚支援学校教諭)が私立にて開設された本館は2011年よりNPO法人として再スタート(川又若菜館長)、ますます充実してきています。

 この博物館の3大テーマは、(1)生命 (2)宇宙 (3)文明です。そして、すべてを貫いて、模型による本質・概念の理解→実物・剥製などの触認知〜自由なイメージ力の獲得、という流れで、全盲のムツボシくんにもまるで目でみているかのようにきちんと頭に入ってきたのでした。

 テーマ「生命」をのぞいてみましょう。

 桜井先生がみせてくださったのは、まずは、シュモクザメの模型でした。全体の形をとらえるのはもちろんですが、このサメを通して、魚類全体に共通するヒレの知識、軟骨魚の特徴、クジラなどのほ乳類との見分け方、そして、同じ軟骨魚でもエイとの違い等々、頭の整理に役立つ概念形成の仕方が伝えられるのです。そして、いよいよ、いざ、実物のシュモクザメとのご対面。もちろん剥製ではありますが、驚くべき位置に目があったり、なるほどこれが鮫肌なんだと納得したり、下っ腹に2本突き出たペニスに唖然としたり、実物の迫力を十分に両手で味わわせていただきました。ここから先は、ここまでの触察で培ったイメージをもとに様々な海洋生物との出会いワールドへと進むのです。桜井先生が知り合いの捕鯨会社からクレーン車やトラックをチャーターして自宅庭に運び、そこに4年間も埋め込み、さらに磨きと手入れを重ねて仕上げたマッコウクジラの骨格標本は圧巻でした。さすがほ乳類、私たち人間と同様の骨があるのです。前ヒレにはちゃんと私たちの手と同様に肩胛骨・上腕骨・橈骨・尺骨、そして指の骨などがあるではありませんか。それにしても4年も庭に埋めてこれらの骨を取り出されたユーモアたっぷりの桜井先生、「あれは臭かったな」「盛岡で一番でっかい台車を買ったよ」「寒さで庭が凍っていて滑ってくれたからクジラの各部がようやく穴まで運べたんだ」…、いずれも前人未踏のことを成し遂げられた方だからの言葉の数々でした。

 「宇宙」のテーマも同様です。

 視覚をもちいないムツボシくんも宇宙や星座の世界は苦手です。でも、工夫された模型を触っているうちに、どんどん興味がわいてきました。日食の仕組みについても模型だけでバッチリ、スッキリ頭に整理できました。模型といっても手作りのものばかりです。概念整理の順番に沿って次から次へと手作り模型が準備されているのでした。

 3つ目のテーマ「文化」では、模型を通して、これまで漠然としていた建造物の大きさがわかりました。

 唐突ではありますが、クイズです。クフ王のピラミッドと仁徳天皇陵(大山山古墳)とは、さてどっちが大きいでしょう。大2問、クフ王のピラミッドと甲子園球場とはどっちが大きいでしょう。正解は、仁徳天皇陵が圧倒的に大きいのでした。また、クフ王のピラミッドと甲子園球場とはほぼ同じくらいでした。模型さえあれば一触瞭然なのであります。

 桜井先生のお子様たちが石膏などで作られたヒエログリフやタージマハルの模型、近代精神の前進を象徴している自由の女神の前に踏み出している足の形などなど、触ってみてはじめてわかったこと、おそらく忘れないであろうこのイメージ、3時間滞在させていただきましたが、とてもとても触りきれませんでした。

 書ききれないので、いくつか写真のみ掲載しますが、視覚障害者にとってここまで楽しめる博物館があったでしょうか。帰りのタクシーの中から、第2回目の訪問のことばかり考えているムツボシくんでありました。

視覚障がい者のための手でみる博物館見学のしおり・アクセス(公式ブログより)
http://tedemil-hakubutukan.asablo.jp/blog/cat/2/

視覚障がい者のための手でみる博物館、館長の思い・触って理解するということ(公式ブログより)http://tedemil-hakubutukan.asablo.jp/blog/2013/02/




写真1
これが手でみる博物館、2階とガレージに展示物がいっぱい




写真2
80歳を前にますますお元気な桜井先生




写真3
シュモクザメの模型




写真4
シュモクザメの剥製、目はなんと頭の先、つきだしたハンマーの両端




写真5
サメの口の中、3段構えの鋭い歯




写真6
マッコウクジラの第1頸骨、この上にクジラの頭が乗るのだ




写真7
マッコウクジラにも肩胛骨がちゃんとある




写真8
大きさが一触瞭然の太陽系の惑星たち、軸の傾きもすぐわかる




写真9
地球の内部、サランラップ3枚重ねの分厚さが私たちの地殻の厚さですって




写真10
クフ王のピラミッドと甲子園はほぼ同じ大きさだった




写真11
桜井先生のお子様が作られた手でみるヒエログリフ




写真12
ボーイング747ジャンボ機のタイヤ




写真13
クレーン車で分けてもらってきた新幹線の車輪




写真14
視覚障害者の職業コーナーに鎮座する鑑真和上




写真15
初めて実物を見たあんま笛、2本重ねのものが女あんま笛

2013年8月10日

ムツボシくんのいる大学、宮城教育大学から
教師をめざす高校生たちにメッセージ

 ハーイ!ムツボシくんです。

 私のいる大学(宮城教育大学)では、特に、特別支援教育の最前線に立って活躍していきたいという意欲と行動力・想像力をもった高校生たちに集まっていただき、この夏、いくつかのメッセージを伝えました。まぁ有り体にいえば、宮城教育大学特別支援教育講座視覚障害教育コースの「オープンキャンパス」ってことですね。

 8月1日は、1年〜4年生の学生たちとともに、この大学で学んだこと、考えたこと、そして、これからの夢などを寸劇風にまとめて演じてみました。こんな調子です…!

○楽しかったこと…

 A子: 私はこの大学で、これまで気づきもしなかった新しい世界といっぱい出会えました。
 B子: 文字が見えにくい子どもたちの世界を知りました
 C子: 点字も覚えました。
 D男:うふふ、自分のあふれる魅力にも気づきました。
 [全員からブーイング]

○宮教大にきてよかったこと…

 E子: 1学年が10名くらい、1年から4年まで私たちとっても仲良しです。
 F子: 私、うわべばかりの友だちが多かったんだけど、宮教大でなんでも話せると友だちがこんなにできました。ね、み・ん・な!
 D男: みんなぼくの魅力のおかげです、ウフッ!
 [またまた全員からブーイング]

○私たちの夢…

 E子: 文字が見えにくいとか、文字が見えないからといってがっかりしている子どもたちに、「そんなこと、些細なことじゃないか」「一緒に工夫しようよ」と励ませられる人に私たちはなりたいです。
 F子: 障害があるからといって、人との違いばかりあげつらうような生き方に、断固、私たちはくみしません。

 この後、参加してくれた高校生たちと、点図キャラクターあてクイズ!、これも4年生の学生が考えてくれたものです。「アンパンマン」「ドラえもん」「ミッキーマウス」など触って当ててもらいました。意外とわかるものなのですよ。

 続いて、8日と9日には、県内の教師をめざす高校生たちが計15人、ムツボシくんの研究室を訪問してくれました。点字を読むことはすぐには無理だけど、点図なら意外と読めちゃったという体験や、被験者と実験者に別れての簡単な点字読み取り実験の体験など、エアコンのないムツボシくんの研究室ではありましたが、汗をふきふき、視覚をもちいない学習の世界のひとときを過ごしてくれました。みなさん、視覚障害児や視覚障害者の世界とその支援に興味をもってくれたかな?



写真1
私たちの宮教大誇りに思う気持ち伝わったかな?



写真2
点図ドラえもんをアイマスクをして触っている高校生



写真3
点図ミッキーマウスをアイマスクをして触っている高校生
2013年7月17日

鉄道ホーム改善推進協会、横浜で7月14日設立

 ハーイ!今回は横浜からムツボシくんです。「合理的な配慮のもと、安全な駅ホームが日本の各地で増えること」を願って、1年後のNPO化をめざす「鉄道ホーム改善推進協会」が7月14日、横浜で設立されました。ムツボシくんもその設立総会に立ち会ってきました。

設立総会会場の写真

 実は、1996年2月、ムツボシくんも親友であり先輩でもある全盲のOさんを鉄道事故で亡くすという悲しくていまだに悔しい体験をしています。滋賀県のJR篠原駅でした。この事故のとき、JR西日本からは「どうして、駅のホームから落ちるような人が駅を単独で利用していたのですか?」と逆に質問されたと関係者から聞きました。これは、私たち白い杖をもって出かけている全盲者にとって二の句が継げない言葉でした。

 あれから、何年がたつのでしょう。いまだに視覚障害者のホームからの転落死を告げるやりきれないニュースを毎年耳にしています。

 さて、今回設立された鉄道ホーム改善推進協会の目的は、「鉄道駅プラットフォームを利用する障害者、高齢者、子どもに代表されるような、より安全性の高い利用環境を必要とする市民と、その改善に取り組む諸団体、および運用団体、管理機関との間に入り、私たちの身近な生活の問題としてともに考え、理解し、相互に協力できるように、様々な具体的な設備や利用マナー、配慮や対策・工夫についてのあり方を、日常的なわかりやすい啓発活動で、広く社会に伝えていくための事業を実施すること(会則第3条)」です。まだまだ知られていないフラットフォームにおける利用弱者の声や、徐々にすすみつつある合理的な配慮の中身について、この協会が研究・調査・情報発信の中心になっていくことを心より願ってムツボシくんも会員になったのでありました。
2013年6月30日

ご存知ですか?ヘレンケラースマホ 〜文字を振動に変換して伝える電話で、盲ろう者の通信に可能性と多様性を拓く長谷川貞夫さん〜


 ハーイ!ムツボシくんです。今回は、盲ろう者の方が使える電話「ヘレンケラースマホ」の話です。6月30日、仙台市の福祉プラザを会場に開催されました「アイアイ福祉展2013」にて、この開発をすすめてこられました「ヘレンケラーシステム開発プロジェクト」代表の長谷川貞夫さんにお話をうかがうことができました。

 これがヘレンケラースマホといわれるタブレットです(本体はサムスン電子ジャパンのGALAXY)。届く文字が振動に置き換わって盲ろうの方に伝わるのです。この振動の回数や次の振動との間隔の違いによって、何の文字かがわかるのです。文字を振動に変換するしくみには6点点字のしくみが巧みに取り入れられています。また漢字変換にも六点漢字方式で対応しています(長谷川貞夫さんはこの六点漢字方式という点字の漢字を考案された方でもあります)。

 ムツボシくんもさっそく体験させていただきました。点字の仮名1文字を入力するのに3動作を使います。まず、1動作で、点字の1と4の点をどうするのかを決めます。スマホの画面で左フリックをすると点字の1の点が、右にクリックすると4の点が、真下に指をすべらせると1と4の点が同時に入力されます。次に2と5の点のための動作をします。そして、最後に3と6の点のための動作となります。何も入力しなくてもよいときは、軽く1回タップするのです。例えば、ハヒフヘホの「ハ」(1の点と3の点と6の点)を書きたいときは、次のようにします。

[動作1]1の点を打つために、左にフリック
[動作2]2の点と5の点は必要ないので、短く1回タップ
[動作3]3の点と6の点を同時に打つために下にフリック

これがヘレンケラースマホだ!名前を入力している写真

 今度は受信の体験です。今回は骨伝導ヘッドホンを振動子として使いました。これまた3回の振動で点字の仮名1文字を表します。ヘッドホンの左右を両手で持ちます。1回目、左が振動すれば1の点、右が振動すれば4の点、両方が同時に振動すれば1と4の点を意味します。2回目は2と5の点のことです。3回目の振動が3と6の点のこととなります。ひとマス(1文字)終われば、少し長めの振動が伝わります。なかなか読み取れるものです。長谷川さんから送信された「こんにちわ」という単語がムツボシくんにも読み取れました。

骨伝導ヘッドホンに伝わる振動で文字を読み取っている写真

 盲とろうの障害をあわせもつ方は日本では2万人強といわれています。そのお一人お一人にマッチした支援の仕方が求められています。手話も点字も知らずに、交信手段を一切もたない人もまだまだおられるのです。このような通信に対する障害をもつ方々にこの長谷川さんのヘレンケラースマホは確実にその通信の可能性を開いたのです。「先天に近い盲ろうの障害をもたれている方の中には‘通信’という概念すらお持ちにならない方もおられるかもしれない」といわれた長谷川さんの言葉がグサッと心に刺さりました。ヘレンケラースマホの原理や長谷川貞夫さんがこれまで研究されてこられたことについて、詳しくは次のページなどをぜひご覧になってください。

長谷川貞夫の視覚障害とユビキタス情報バリアフリー
http://ubq-brl.at.webry.info/
「ワイヤレスジャパン2013」と「ヘレンケラースマホ」の本質
http://ubq-brl.at.webry.info/201306/article_1.html
長谷川貞夫さんの「六点漢字の自叙伝」
http://www.wesranet.com/6ten/txt6idx.html
2013年6月25日

多賀城あやめ祭 〜視覚障害者と社会参加を考えるT 地域生活推進センター「きりん」

 ハーイ!ムツボシくんです。今回から不定期ではありますが、「シリーズ「視覚障害者と社会参加を考える」の連載を始めます。そして、その第1弾はこれっ!「きりん」の活動紹介です。

 「きりん」とは、地域活動推進センターの名前です。目の不自由な方同士の交流を中心とした手芸・工作・調理などの創作活動、英会話・園芸・将棋・茶道などの趣味活動、散歩や史跡めぐりなどの外出活動、もちろん、障害を楽しく軽減させてくれるパソコンをはじめとする様々なグッズの練習など、本当に盛りだくさんの活動が毎月用意されています。興味のある方は、運営母体「アイサポート仙台」のHP「きりんだより」のページをのぞいてみてください。

 6月25日、初夏にふさわしい好天の下、この「きりん」に集われたみなさんとともに、ムツボシくんも多賀城跡のあやめ祭に出かけてきました。ヘルパーの方も含めて総勢40名弱の大集団。地元観光案内の名ガイドMさんのユーモアたっぷりの先導でまずは歴史散策…。多賀城跡に到着。

 ちゃんと、手で触れられる多賀城跡の全体ジオラマがあるじゃありませんか。もう、これでムツボシくんはご機嫌!だってこれがあるとないとでは楽しみ方が違います。地形の凹凸、建物の配置、堀や築地塀の方向や規模、すべてがイメージできました。
わかりやすい多賀城跡のジオラマの写真

 そして、いざあやめ祭の会場へ。実は、ここ多賀城にあの松尾芭蕉も訪れています。その日が6月24日だったそうです。そこであやめ祭も6月24日開催となっているそうです。「あやめ草、足にむすばん、わらじの緒」。あやめの葉っぱを蛇よけ・虫よけとしてわらじに結んで旅をしたのでしょうね。

 あやめ祭といっても、咲き乱れていたのはアヤメ化の「花菖蒲」です。全盲のムツボシくんはあまり匂いもしないこの花菖蒲をいかに楽しんだのか…?もちろん触ることもできません。そこで、この園を管理しておられる専門家の人にインタビュー、花菖蒲の株や切り花を売っておられる詳しそうなおじさんにもインタビュー。こうして品種改良の歴史、それらの特徴など知識を集めたのでした。いまとなればせっかく教えてもらったうんちくもわすれかけていますが、こうして地元の方とお話できた楽しさが見えない私にもちゃんとイメージのアルバムに残っていくのであります。

「江戸系の花菖蒲の写真:花の高さがやや低いのです

肥後系の写真:花がしだれています

長井系の写真:日本の花菖蒲の原種です

 視覚障害の私たちがヘルパーさんたちとお出かけする機会やそのチャンスは確実に増えてきています。ただヘルパーさんに連れていってもらうだけではもったいない「消極的な社会参加」です。ぜひ、いつものヘルパーさんとは異なるみなさんとの新しい声の出会いや触ったことのないような物との手の出会いに満ちたワクワク感を求めてムツボシくんはこれからも杖を手にするのであります。
2013年6月21日

宮城県の点訳ボランティアのみなさんが点図を指で読み取りましたよ


 ハーイ!ムツボシくんです。今日は、宮城県視覚障害者情報センターにおじゃましています。点訳ボランティアの定期研修会にて、「いまもとめられる点図の世界とその広がり」というテーマでお話をさせていただくのです。「みなさん、点図に興味もってくださるかな?」、ドキドキです。

宮城県視情センター点図の講習会の写真

 点字版の教科書はもちろん、大学入試センター試験でも点図の読み取り問題が出ていることから、点図がいまでは点字学習者に必須のものとなっている現状をまずお話しました。そして、「点字は読めないけど点図なら読める」という中途視覚障害者の方も多いことを紹介しました。「みなさんも点字は指で読めないでしょ。でも、点図なら読めるかもしれませんよ…」と、ものは試し…。参加者約60名が全員アイマスクをつけて、さっそく点図の読み取りにチャレンジ!簡単な図形で楽しむ「あみだくじ」を触ってもらいました。

これがあみだくじの点図(画像)

 「あっ、これは○、次は三角、そして、これがバツ印…」「残念でした、それはバツじゃなくて、かけるのマークでした(笑い)」などとわきあいあいの雰囲気の中、ほぼ全員がはじめての点図の読み取りや線たどりに成功しました(他にも、迷路やプールに浮かぶボールの数かぞえ、線種の異なる様々な図形、重なった図形など8枚の点図を準備しました)。

 最後に、図形点訳ソフト「エーデル」を紹介、ぜひ、ここ宮城県でも点図の世界を私とともに広げていきませんか!心からの呼びかけをさせていただき話を終わりました。点図の新たなグループがこちらのセンターにもできる日を楽しみにしています。
2013年6月9日

全盲のムツボシくんはゴッホの前で何を考えたか…?


 6月9日、ムツボシくんは、宮城県立美術館で開催された「視覚障害者の美術鑑賞会」に参加してきました。今回、鑑賞したのは「空白のパリ時代」をテーマとするゴッホ展です。「えっ?全盲の人が絵の鑑賞…???」ってつぶやいた方もおられることでしょう。もちろん見えませんのですべてが言葉による理解と指を持ってもらっての輪郭などの空なぞりによる理解です。

 ゴッホの絵の特徴といえば、厚塗りによる感情の率直な表現、大胆な色づかい、赤と緑・紫と黄といった隣り合う補色の効果などとは詰め込んだ知識。それらの技法が具体的にどこに用いられているのかを伝えてもらいます。点描の効果や筆の軌跡が、見える人にはどんな印象として映るのか聞かせてもらいます。そして、全盲者はひたすらイメージするのです。でも、こうして出来上がったイメージに感動することは残念ながら今のところはまだありません。

 それだけの体験だったらわざわざ美術館まで出向かなくてもどこでも画集を手に説明を受ければよいじゃないか、といわれるかもしれませんね。ただ、本物の絵を前にした感動を見える人から聞かせてもらい、いろいろと質問ができる機会はとても貴重です。見える人、見えない人が一緒に言葉を用いて絵画を共有する体験から、私にも心が揺れるようなイメージがいつかできるのではと期待しています。きっとそれは錯覚に違いないでしょう。でも、見える人が目で見て心振るわせる思いを、私も味わいたいものです。自分を感動させるイメージを全盲者だって絵画から作り上げられるのではと信じています。そのための言葉以外の新たな手立てが必要なのかもしれませんが。


ゴッホ展 宮城県美術館正面玄関写真
2013年4月29日

視覚障害者からみた東日本大震災〜福祉避難所とはいうものの

 ハーイ! 仙台からムツボシくんです。4月29日、宮教大の学生さん6名とともに、仮説住宅にお住まいされている視覚障害のSさん宅を訪ねて石巻までいってきました。

Sさんの画像

 あの3.11、Sさんは、体調がわるく養生をかねて午睡中だったようです。多発性硬化症(MS)のため片半身に麻痺もあり、足が上がりにくいSさんは、無意識のまま階段をなんとか下りて玄関から脱出しなけりゃと思いました。そして、いつでも持って出られるように用意してあった避難袋を探そうとしたのですが、倒れた下駄箱の下になってたようでこれを持つこともあきらめ、いろいろなものが崩れては折り重なっている玄関をなんとか脱出。疲れ切り、庭先でうずくまって動けなくなっていたのです。
 これまで大きな地震の経験もなく、噂に聞いていても、実際に津波など経験もしたことがないSさん。揺れさえおさまればと思っていたのでした。Sさんの家のすぐ横が北上川だそうです。窓をあければ釣りができるくらいのまあ景色はとってもいい家だったのです。でも、それが今回は仇となりました。

 まもなく津波の第1波がやってきたのです。麻痺のある足が徐々に水にぬれていきます。動けない!もう、ここで私は終わりだと思いかけたといいます。そのときに、偶然、夜勤明けでもどってきておられた向かいの家の娘さんが車で逃げ出すところだったのです。その娘さんがSさんを発見しなんとか車に乗せて逃げようと試みられたのですが、Sさんが重くて車に乗り込ませることができません。人間て自ら動こうとしてくれないとなんとも重いものですよね、娘さんも小柄な方だったのです。水はどんどんあがってきます。
 とうとう娘さんは車をあきらめて、すぐ横にある工場のの中二階にのぼれるはしご階段に飛びつきます。娘さんはそれで中二階に上がれました。Sさんも、早くと急かされるのですが、足が動きません。はしごはすぐ目の前だとはわかっています。このとき奇蹟が起きたとSさんはいいます。体が急に軽くなり、気づいたらはしご階段の鉄の棒をしっかり握っていたのでした。おそらく津波の水で浮力がわき、体が軽くなり、はしごの方に偶然体が流れたのか、にぎることができたようです。そして、娘さんの力を得てなんとか中二階に上がれました。それにしても何秒という時間との闘いでした。首くらいまで水につかっていたら、きっと体はもちあげられなかったといいます。
 中二階につくやいなや、津波の引きがきました。危機一髪です。この「引き」がもっとも恐ろしいらしいです。この引きですべてのものが破壊されもっていかれるのです。このような波が、やがて第2波、第3波と来ました。そして、静寂…。この夜に私たち二人だけが生き残ったのだと思ったそうです。このとき、Sさんの家は1階部分をすべて持っていかれていたのでした。

 夕方、二人は、水が引いたのち、なんとか高台をさがして移動したそうです。ところが路などはありません。瓦礫や水没地ばかりでした。ちょうどその時、もうあきらめて線路端でやや高くなっているところに二人すわって凍えていた時のこと、目の前をスローモーションをみているかのように車が通ったと言います。実は、よく利用していた近所のタクシーの社長さんがマイクロバスを瓦礫をどけては進め、泥の中を移動しておられたのでした。従業員を満載しての避難途中だったのです。声を今かけないと私たち二人、ここで死んでしまうと思ってはいたそうですが、ボーッと見送ってしまったといいます。 「えっ?なんで声出さなかったのですか?」と聞くのは簡単ですが、なんだかSさんがボーッと、目の前をゆっくり進むマイクロバスを見送ってしまった気持ちもわかるような気がしてきました。実に、かなしいですね。

 でも、なんと、一旦通り過ぎたバスは戻ってきてくれたのです。ようやく正気になった二人はバスに乗せてもらえたといいます。タクシーの社長さん、ちゃんと二人のこと見ていて下さったのですね。こうして、二人は、無事避難所までなんとかたどりつけたのでした。

 一緒に逃げてくれたあの娘さんは翌日親戚をたよって避難所を出て行かれました。そして、Sさんのことを知っている人のまったくいない避難所暮らしがはじまったのです。ここから障害があるがゆえのSさんの苦労が始まったのです。

 避難所はとんでもないところだったといいます。まず、自分が見えないということがわかってもらえなかったのです。目は外見上なんともないし、ちゃんと視線を合わせているかのように話ができます。本当に見えないの?と何度も聞かれたといいます。また多発性硬化症のために、体が思うように動きません。横になってばかりです。薬が持ち出せなかったと言うこともあって、しきりにおしっこをもよおしたようです。頻尿みたいな症状があるそうです。でも、トイレに頻繁に連れていってもらえなかったのです。最初は隣の人も連れて行ってくれますが、1時間おきとなると誰もよい顔はしません。そのうちに、どうせ泥だらけ、ここで粗相をしてもだれもなんとも思わないとまで開き直ったといいます。自力でトイレまで動くにはこれまた大変、状況を耳で聞き取って、「ああ、今はあのあたりが通路か…」と理解しておいても、次々に避難してくる人、人、人…。あっという間に体育館のレイアウトは変わっていきます。何十人にごめんなさい、私見えないのでぶつかりました、と謝りながらトイレに進むのでした。
 
 「えっ、避難所の係の人は手伝ってくれなかったのですか?」
と尋ねてみました。「はい、その中学校の先生たちがお世話係でした。そして、どこにも手助けを頼めるような人みつけられませんでした。」とSさんはいいます。確かにすごい状況だったのでしょうね。

 トイレもすごかったといいます。ルールとして、かならずプールの水を汲んできて用がすめばちゃんとその水で流すように規則が伝えられていたといいます。ところが、そんな面倒なことはほとんどの人が守りません。だれが寒い中プールまでいって水を汲んでからトイレをするでしょう?だから、便器にはもう、もりあがった汚物の山ができていたようです。しゃがむにしゃがめないのです。すぐにこれには対策会議が設けられて、避難された人たちの中から班をつくって掃除などをするようになったといいます。しかし、ここでもSさんは、つらいきびしい目にさらされたのです。

  「あんなに弱っているお年寄りが班活動で自分にできることをさがして手伝っているのに、なんですか、あなたはまだ若いのに横になってばかりで…!」とこれまた係の人からも、となりで休む人からもいわれたのです。もう説明するのもいやになったといいます。

 そこで、Sさんは、ほとんど無気力になりました。「乾パンをくばります、こっちに並んでください」と聞こえても、「あのう、こっちでどこですか?」などと誰かに聞いてまで、食糧のパンがほしいとも思わなくなったのでした。

 家族や親戚は無事に逃げているのか、これが最も気になることでしょう。ときどき体育館の片隅にどよめきが聞こえていたといいます。今から思えば、安否確認の紙が壁に張り出されるたびに、わき上がる音だったのですね、と悔しそうにいわれました。「あの時は、何も知らされなかったことを、いまさら嘆いても仕方ありませんが。私だって、両親がどうなったのか、主人は生きているのか、知りたくてたまりません。」でも、誰もそんな情報を教えてくれなかったといいます。心のどこかで、「もう絶対に助かってないな」と思ってもいたといいます。

 ムツボシくんだったらどうするかな、この避難所でだれにも障害のこと理解されずにいるなんて…やっぱり、あきらめるかも…とおもっちゃいます。

 避難所3日目、とうとう、Sさんは、「福祉避難所に移してほしい」と係の人に言いました。福祉避難所というものがあることは知っていたそうです。すると、係の人、おそらくはその中学の先生だったのでしょう。「あなたのように元気な人は入れませんよ」とただ一言いわれたようです。Sさんも、これ以上説明するのもいやになり、これもあきらめたといいます。

 実は、あとでわかったのですが、この中学の体育館こそが、石巻で唯一の福祉避難所として位置づけられていたのでした。
それってどうよ・・・漫才のオチみたいな話です。

 避難所では、こんなこともあったといいます。

 柔道の授業でつかう畳が数枚あったので、先生たちは「赤ちゃんや体の具合の悪いお年寄りを優先して畳を配ります」と提案されました。その瞬間です、あきらかにそうじゃない人たちから、ちゃんと平等にしろ!と声があがり、続く怒号…、そして、すざまじい畳争奪争いが起きたといいます。「人間はおろかだなあ、生き残ったがゆえに、このような場面をみなくてはいけないのか?」とSさんは考えたといいます。この3月まで関西にいて私たちは、「こんな状況の中でも被災された方はゆずりあって…」みたいに美談ばかりの報道を聞いてきたような気がします。が、やはり、そんなに甘くはない光景もこうしてあったのです。

 避難所3日目、ようやくご主人と連絡がつきました。無事だったのです。ご主人の方は晴眼の方です。職場で被災し、戻るに戻れず、それに北上川沿いのあの家はすっかり流されたと信じ込んでおられたといいます。もちろん、ほとんど目が見えなくて体の不自由な妻はもうだめだと思っていたといいます。そして、時間がとれたときに、家の後片付けをかねて戻ってみたときのこと、かろうじて2階部分と屋根が傾きながらも残っていることを発見、そして、これがまたしても奇蹟、ちょうど向かいの家にも戻って片付けをされている方がおられ、その方から、「娘が奥様と一緒に逃げた」ということを、ご主人は聞き出しました。取る物もとらずに急いで避難所。そして、Sさんとの再会。ただちに、Sさんの状況を察したご主人は避難所を出ることを決意し、なんにもないあの家の2階で暮らすことにしたのでした。

 食糧もない、水もない、なんにもない中で避難所にいた方が安全は安全だったろうとSさんはいいます。しかし、もう絶えられなかったといいます。

 幸い村にもどると、高台で同様にもどっておられる方が数名いて、この方たちに助けられたといいます。朝、炊き出しのおにぎりを2個持ってきてくださり、これが1日の食糧です。トイレの水は横を流れる北上川でした。役場に連絡がついて、配給をお願いします、といっても受け付けられなかったと言います。つまり、避難所を出ているということは、自力でなんとかできる恵まれた人というレッテルになるのです。だから、避難所に行って何か分けてください、と言いに行ったときのSさんの話も、とても信じがたいものでした。

 Sさんたちが避難所に行って、「パンかおにぎり、なにか分けてください」と頼んだそうです。そうすると、これは避難所の方のものです。わけられません。とはっきりいわれたのです。そこをなんとかお願いします。と再三再四頼み込みます。
 するとどうでしょ。「賞味期限が切れてもう食べられなくなったパンやおにぎりならあります。それでもいいですか?」と言ってきたのでした。人間のプライドをどう思っているのでしょうね。もちろん、Sさんたちは受け取らなかったといいます。避難所はこのように期限切れになったものを穴を掘って埋めていたようです。
 なんで、このように穴に埋めるような食糧が出てしまうのか?不思議です。一報で求めている人たちがいるにもかかわらずです。

 実は、こういうことのようです。例えば、避難所に100名の方が避難されているとします。そこに、救援物資としておにぎり50個が届いたとします。さて、あなたならどうしますか?ムツボシくんなら、まずは、弱っている方を優先してこの50個を配ります。ところがそうはしません。100個集まるまでこのことは内緒にしておくのです。100個集まってようやく配るのです。しかし、そううまく集まりません。そのうちに、この50個が期限切れとなります。そうすると、穴をほってうめるのです。(しかし、こんな時でも賞味期限を気にするんだなというのもなんか違和感感じちゃいました)

 こうして、Sさん夫婦は、数ヶ月なんとかあの壊れた家で暮らしたそうですが、さすがに秋を前にして無理と判断、仮設への入居が許されたといいます。

仮設住宅の画像

 Sさんのご両親も北上川ぞいに住んでおられました。幸いご両親ともに危機一髪逃げられたようです。津波が押し寄せ、唯一高いところといえば、歩道橋だったといいます。そこにむかって走っていかれました。階段を登るスピードと津波があがってくるスピードとの争いになったのでした。振り返ったら近所の人が渦をまくように流されていくところを目撃、ご両親はまるで悪夢の映画のシーンのようだったといわれたそうです。

 そして、Sさんの仮設暮らしとなりました。この仮設に私たちはいま訪問させていただいているのです。しかし、なんともバリアだらけのプレハブでした。段差ばかりのお風呂、雨樋もなかったし、洗濯干し場もない、いくつかは改善されているようですが、隣とは板1枚、隣の人のいびきが、すぐ横で寝ている人のように聞こえるといいます。二部屋と台所が縦にまっすぐならぶ配置でした。ここで4年暮らさないと被災住宅には移れないといいます。車いすを使わざるを得ない人にはそれようの仮設があると役場はいいます。しかし、実態はこうです。玄関に向かってスロープが作られているのが車いす仮設なのでした。ちがうのはそこだけです。スロープで玄関先までは行けるのですが、そこから玄関には段差があって入れないのが車いす用の仮設なのです。なんでそんなことになっているのか、理解に苦しみます。だれだってちょっと考えたらわかることなのに…。結局、仮設に住む人たちからの要望で、雨樋をつけたり、段差を解消したり、なんやかんやであとからお願いして追加工事をしてもらうこととなり、それを誰が払うのかでこれまた交渉…、そんなことがいまだに続いているようです。最初からユニバーサルデザインの仮設のユニットくらいなんでないのでしょうね。きっと、どこかで在庫処分をまっていた仮設の古いタイプのユニットが、どこかの業者の利益になるのか大量に使われたのではと疑いたくなります。

仮設住宅玄関の画像

仮設住宅お風呂場ドアの画像

 石巻を歩いていて、変な匂いがときどき漂ってきました。魚の腐ったような匂いです。本当かどうかはわかりませんが、瓦礫の中に、魚を含んだ冷蔵庫などのゴミがまだまだあって悪臭を出しているとも聞きました。

 復興商店街にいって海鮮どんぶりをいただきましたが、これはとっても美味、15種類のお魚類が豪華に乗っておりました。ホッキ貝はこちらではじめていただきましたが、とっても甘くて味があります。これはおいしいです。ただ、この石巻の復興商店街もお店はまだまだほんの数軒しかありませんでした。寂しいかぎりでした。

 Sさんは、仮設の部屋にたくさんのものをぶらさげて飾っておられました。ちょっとした飾りやらなんやらかんやらです。理由をききますと、自分でつくったものもあるが、みなさんからいただいたものはすべてこうして壁とか目のつくところに飾っているといわれます。 「だって、ひとりじゃないとおもえるじゃありませんか?」別れ際、Sさんのにっこりした穏やかな声が聞こえました。

 そうなんです、こうした被災地、石巻・気仙沼にはまだ鉄道はつながっていないのであります。