ムツボシくんの仙台全盲物語
むつぼしくんが飛行機に乗っている画像
2017年12月18日

ムツボシくんのふる里‘ぼちぼち会’を中日新聞が紹介

 ハーイ!ムツボシくんです。今回は少し身内ネタにて失礼します。ムツボシくんが彦根にいたときに点訳活動を通して仲間たちと切磋琢磨してきた点訳サークル‘ぼちぼち会’が12月14日、中日新聞にて紹介されました。

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中日新聞掲載紙面の写真(2017年12月14日付け)


 日本語6点点字がブライユ点字から翻案された1890年からちょうど100年後の1990年12月、ぼちぼち会は彦根にて誕生しました。いよいよその活動も28年目に突入しています。ひと口に28年といいますが、現在も30名前後の会員が年間を通して活動してくたさっていることに心より感謝しております。

 誰でもが会長職ができる簡素な運営体制と周囲からの支援、新人の募集から研修体制、そしてベテランとの溝ができないための工夫など、自主的な点訳サークルがこんなにも長期にわたって第一線で活動をされている手腕にムツボシくんも学ぶところ大であります。

 これからもぼちぼち会には、「図があったらほらこんなにわかりやすいでしょって本」「サピエ図書館ではもれてしまいがちな本」の点訳などを目指して活動していただきたいと願っているムツボシくんであります。

 最後に、まもなく完成予定のぼちぼち会の点訳作品は次の2点です。

 (1)【科学と人間生活 新訂版 演習ノート】 実教出版発行の教科書「307科学と人間生活 新訂版」に対応した書き込み式ノート教材です。

 (2)【改訂版世界の国旗図鑑】 苅安望(著)、偕成社(2016年)。こちらは長尾研究室とメディアテーク仙台の点訳サークルとぼちぼち会のコラボ企画。2020年の東京オリンピック・パラリンピックをたのしむベストアイテムにきっとなる本でしょう。

[参考サイト]問題集点訳で障害者応援/彦根拠点のぼちぼち会/中日新聞(2017/12/14)
http://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20171214/CK2017121402000014.html
2017年12月11日

全国の大学図書館よ、図書のテキストデータ化で国会図書館と連携を!

 ハーイ!ムツボシくんです。先月23日、宮城教育大学は日本学生支援機構との共催にて障害学生支援に関する全国セミナーを仙台にて開催しました。テーマは「しょうがい学生支援のこれからを切り拓くキーワードを求めて」です。その内容と成果は日本学生支援機構のホームページにてまもなく報告がなされると思います。

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セミナー閉会時に視覚障害学生支援分科会の報告をしているムツボシくん


 さて、今回のお話はこのセミナーの視覚障害学生支援分科会で取り上げられたこの問題です。「視覚障害者等用データの収集および送信サービス」。このサービス、みなさんはもうご存じでしたか。国立国会図書館が数年前から始めているサービスなのであります。

 国会図書館が製作したテキストデータ化図書等はもとより、全国の公立図書館や大学図書館が製作したそれらについても、国会図書館が中核となって収集し、視覚障害者等個人の方や図書館等にインターネット経由で送信するサービスです。

 ただし、各図書館は国会図書館との間にて覚え書を取り交わし承認を受けないといけません。残念ながらこのサービス提供館が未だに極端に少ないのです。特に大学図書館はそんなサービスなんて聞いたこともない!って反応でしょうか。本学の大学図書館もこのサービスの承認は受けていないのです。東北地方を見ても大学図書館は登録がずっとゼロのままなのです。つまり、ムツボシくんも現時点ではテキストデータ化された図書ではなんら大学図書館からは恩恵を受けられずにいるのです。

 一般に見えない人のための図書は点訳または音訳された図書なのでは?と考える方も多いでしょう。でも、点訳本や音訳本では漢字が分からないのです。使われている漢字を知りたいこともあるのです。また正確に引用箇所を抜き出すことが点訳や音訳本ではできません。漢字の他にも句読点の使い方や原本ページが分からないのです。そこで、少しお堅い本や漢字を知りたい本、論文などで引用の必要がある文献、点訳や音訳に時間がかかる本などについてはテキストデータ化された図書はとても使い勝手があるのです。スキャナーで本を読み取り文字部分をテキストデータ(ワープロで打った時のような文字データ)にするのです。本の各ページをスキャナーに通すだけで最近はそれができるのです。

 このサービスが充実すると、視覚障害学生には計り知れない恩恵となります。全国の各地の公立図書館や大学図書館がそれぞれテキストデータ化した図書を、自分が学ぶ大学の図書館を通して借りることができるようになるのです。各大学ごとに製作していた図書のテキストデータが国会図書館に集められることはとても大きな意義があるのです。これまでなら、どこの大学にどんな図書のテキストデータがあるのかすら学生には分からなかったのです。まして自分がお願いして製作してもらったテキストデータ以外のデータ、つまり、他の大学の視覚障害学生が利用していたテキストデータまで借りられるようになるのですから、その恩恵は計り知れないのです。

 でも…なのです。さきほども書きましたが、あまりにもこのサービスのことで国会図書館と連携をしている大学図書館が少なすぎるのです。大学図書館自体が「視覚障害者にとってのテキストデータ化された図書の意義」について無知なため、在籍視覚障害学生のためにテキストデータ化のサービスすらしていない大学図書館もまだまだ多いようなのです。

 この他にもこのサービスの充実に向けての課題はあります。スキャナーで本を読み取っただけではやはり誤字の多い本となります。例えば、大文字のアルファベット「I」と数字の「1」が混同されたり、「使」と「便」のようによく似た漢字が誤変換されたりします。そのまま機械的にスキャナーに通すだけでは読みづらいデータとなります。そこで、人の目による原本との照合作業(校正)が必要となります。校正をするとなると手間と作業費用がかかるようになります。大学図書館はどこまで費用負担をしてくれるのかです。しかし、この問題には根本的な解決策があるのです。

 各図書には必ず出版元があるのです。出版元が印刷所に提供するデータがこの時代、必ずあるはずです。まさか手書き原稿を印刷書に持ち込んでいるというような本作りをしている出版社はこの時代ないでしょう。出版元がその図書データを視覚障害のある読者のために大学図書館や視覚障害者個人に直接提供をしてくれればスキャナーに通すといった手間なく私たちもすんなり読めることとなるのですが、なんでこんな簡単なシステムができないのでしょう。

 文句ばかり言ってもしかたありませんね。時代は確実に視覚障害学生の学びを保障する方向に進んでいるのです。ムツボシくんが学生だった時代に比べたら隔世の感です。私たちの時代は対面朗読をしてくれる学生の声を聴きながら点字タイプライターにて英語のテキストを1文字ずつ自分で打ち込んでいたのですから…。

視覚障害者等用データの収集および送信サービス/国立国会図書館
http://www.ndl.go.jp/jp/library/supportvisual/supportvisual-10.html
各サービスの承認館・参加館一覧/国立国会図書館
http://www.ndl.go.jp/jp/library/supportvisual/supportvisual_partic_1.html
2017年10月26日

視覚障害者と聴覚障害者のコミュニケーションの垣根を下げるUDトーク

 ハーイ!ムツボシくんです。大学も後期に入り、今期は教職大学院の聴覚障害学生と授業をする機会を得ています。テーマは「視覚障害教育」です。ご存じのようにムツボシくんが全盲、受講生が全聾…、果たしてどのように講義や演習を進めるのか?みなさん、これは難問です。

 そこで、登場するのがUDトークというiPhoneアプリなのです。これは私がマイクに向かって話した言葉を直ちに文字に変換し、相手のiPhoneの画面に表示するというものです。全聾の方からのコミュニケーションはiPhoneに書き込んだ文章をiPhoneが画面読み上げするので彼(彼女)の発言が私には聞えてくるのです。

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ピンマイクで学生のiPhoneの画面に音声入力しながらすすめる講義



 ただ、少しタイムラグがあるので実際の会話のようなテンポにはなりませんが、それでも音声認識はかなりよくなってきています。特に、ムツボシくんの声は本学でも認識率ナンバーワンとの呼び声、少し鼻高々です。音声認識率を上げるには、こちらも話し方を工夫しなければいけません。まずは、しっかりくっきりした声で速すぎずに話すこと。次に、意味の塊ごとに、つまりは句や節を意識して少し間をあけて話すこと。そして、これは努力に限界がありますが、声の質も無関係とは言えないみたいな様子です。

 UDトークのマイクを持つと、こちらも自然と口に出す文章を頭で再度練り直した上で、書き言葉的に話せるようになってきました。結果的に、言葉を口から出す前に必ず頭で一度整理してから話すという習慣づけの訓練にもなりそうです。

 視覚障害児への白杖歩行の指導法のために外に出てみました。私の胸ポケットに1台iPhone、UDトークで文字変換したものが全聾の彼のiPhoneにも表示されます。私の指示をすべてUDトークで伝えたのち、最初に目でその指示を確認した彼はアイマスクを着用して白杖歩行の児童役をこの日は体験しました。「ストップ」や「アイマスクを外して」の合図はあらかじめ私が彼の肩を何回たたくかで決めておくのです。

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UDトークを持って白杖歩行の演習に出てみました



 UDトークで音声認識し文字変換した文章はiPhoneに残るために必然的に講義の文字起こしをしているのと同じため、あとでノートにまとめ保存するのも容易です。また、このUDトークと点字ピンディスプレイ(画面表示した文字列を瞬時に点字に変換し指で読めるようにその点字を表示する装置)がうまく連携を取れるようになると点字を触読できる盲聾者とのコミュニケーションの垣根もさらに下げられる可能性が出てきます。それにしても感心したのは、全聾の方からのレスポンス(文字入力による返信)の速さです。それに対して、ムツボシくんはというと…、ピアノに例えるなら、人差し指1本で演奏しているような段階なのでありました。

[参考サイト]

○UDトークって?
 http://udtalk.jp/about/

○開発元/Shamrock Records, Inc.
 http://shamrock-records.jp/applications/
2017年6月17日

気仙沼で考えた‘みんなちがって、みんないい’の意味

 ハーイ!ムツボシくんです。ムツボシくん、はじめて気仙沼に登場です。気仙沼中央公民館にて6月3日に行われた平成29年度「第1回特別支援教育支援員講習会」におじゃまさせていただいたのであります。

 今回のテーマはこちら!「視覚障害から見た福祉教育」。とりわけ地域校におけるインクルーシブ教育の本質は学級づくりにあるのではないだろうかというお話でした。

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前段として、「上から目線の共生社会実現論」をバッサリ切り捨てるムツボシくん!



 インクルーシブ教育とは、みなさんもご存じのとおり、地域の幼稚園や小学校・中学校で障害のある子どもたちがともに学ぶことを意味しています。クラスの中に点字の教科書や拡大文字版の教科書をを持ち込んで視覚障害のある子どもたちが机を並べるのです。当然、クラスを単位とする正しい障害理解教育が地域校の中にないとインクルーシブ教育なんて実現できません。それを福祉教育と呼んでいます。


 みなさんの中には、小中学校時代、アイマスク体験をさせられた覚えはありませんか。あれは福祉教育と言って、障害児理解を深めようとする試みだったのです。アイマスク体験を通して学校側は何を教えたかったのでしょう。体験のあとの子どもたちの感想コメントを読むとよくわかります。

 「怖かった」→「自分たちは目が見えていてよかった。」→「でも、世の中には見えない人もいて、見えない人はたいへんだ。」→「だから見えているぼくたちが助けないといけない!」。

 これでは、学校側は「障害のない人」と「障害がある人」との違いを教えているにすぎないのではないでしょうか。「よかったね、君たちは見えていて…。→だから見えない人にやさしくするんだよ」というロジックを押しつけてきたといっても過言ではありません。アイマスクを外すとき、「君はほんの数分見えなかっただけだろう。でもね、ムツボシくんのような方はそれがずっと、24時間、365日、死ぬまで続くんだよ、わかるかい?」などと私の前で子どもたちの思いに‘だめ押し?’をした先生もおられました。

 このように、障害のない人とある人との違いを教えても意味はないのです。「違い」からは「こっち側でよかった」という思いを強くするだけなのです。違いに気付かせることが福祉教育・人権教育の狙いではありません。金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」という思想は「ちがいに気付かせる」教育ではないのです。むしろ、表面的にはちがっているけど人として「みんなおなじなんだ」というところに目が向く子どもたちを育てないかぎり金子みすの詩はしみこんでは来ないと思っています。‘みんな’ちがって、‘みんな’いいと金子が謳う‘みんな’が本当に今の地域校のクラスにあるのでしょうか。この‘みんな’を鍛えるのが学級づくりなのです。

 弱視の子どもたちはその視力を補うためにせっかく盲学校の幼稚部で身につけたレンズ操作ができるにもかかわらず、地域の小学校に入学するとクラスの中では、つまり、みんなの中ではレンズを鞄から出して黒板を見ようとはしません。なぜでしょう。自分だけが変な?レンズを使いたくないのです。先生が弱視児のために拡大文字のプリントを準備しても、「私、普通のプリントで見えます」と言うのが弱視児の心理なのです。クラスの中にある‘みんな)からの視線をこんなにも気にしながら弱視児の学校生活がインクルーシブ教育時代の今もストレス一杯に続いているのです。

 大切なことは「違い」を教えるのではなく、「おなじ」を教えることです。そして、表面的には違っていても、それは同じ目的に向かっての手段が違うだけだということに気付かせることです。同じ思いで集まっているんだけど、障害ゆえにその思いを実現するためには工夫をしているんだという、この「工夫」に気付かせるのが大切なのです。見えない子どもは点字の教科書を使います。でも、この点字教科書はみんなの教科書と同じなのです。同じように勉強がわかるように様々な工夫がされているのです。どうせ点字をクラスに持ち込むのなら、点字の五十音を教えるのではなく、点字にこめられている指で読みやすい工夫を子どもたちと見つけ出す授業にしてもらいたいのです。普通文字と点字、表面的には違います。でも、学びたいという気持ちは見えない友だちも見える友だちと同じなのです。同じく学びたいという気持ちで集まっているクラスという集団、でも、手段を変えないと、工夫をしないと、見えない子どもはその「学びたい」をみんなと同じように追求できないのです。「見えなくてもジャンケン、できるかな?どんな工夫がいるかな?」という種類の問いかけこそ金子がいう‘みんな’を培う学級づくりへの一歩ではないのでしょうか。

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見えなくてもインスタントコーヒー、つくれるかな?



 見えない人はどんな工夫をして、コーヒーを入れているんだろう。ムツボシくんが今回気仙沼の支援員のみなさんにアイマスクをして体験してもらったのがこれでした。そして、、「こわかった」「見えない人はたいへん」という感想コメントは一切みなさんの口からは漏れませんでした。その代わりに「工夫すれば意外と見えなくてもできるね」というコメントを複数いただきました。見えなくてもできるための工夫に気付く、工夫を作り出す、こう言った力を子どもたちにはつけてあげたいとムツボシくんは願うのであります。障害ゆえに必要な工夫、努力してきた工夫、それが見える子どもたちのクラス、大人たちの社会であってこその「みんなちがって、みんないい」なのではないでしょうか。
2017年4月13日

触覚でどこまで楽しむかトマト狩り

 ハーイ!ムツボシくんです。今回は仙台の新入生を祝う梅の花をもとめて仙台市農業園芸センターに出かけてみました。

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これが有名な臥竜梅。正宗が朝鮮より持ち帰った梅の子孫。



 約60種200本ほどの梅林、ところが思ったよりは匂いが薄くてややがっかりしていたところ、案内してもらったのがこちらトマト狩りハウスでした。

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こちらがトマトハウスです。



 さて、こちらのハウスには、ミニトマトが約10種、たわわに実っておりました。まずは10種のトマトの試食です。アイコ、シシリアンルージュ、フルティカトマトなど、黄色やオレンジのものもあるようです。この農業園芸センターおすすめはこちらのプチぷよです。

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これがプチぷよ。熟したものはとっても甘いのです。



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こちらのトマトの名前は「Mr.浅野のけっさく」、ユニークな名前ですね。



 でも、ここは食べ放題の施設ではありません。味見は原則各種類1個ずつなのであります。問題はトマト狩りなのです。見える人に探してもらって「はい、これ、食べてみて!」と言われるままに過ごしてはいけません。そんな受け身では楽しくありませんよね。「どれをちぎっていいかトマトだけにトマドっちゃう」なんて洒落ている場合ではありません。見えなくても楽しむ精神が大切なのです。それには、何はともあれ、熟したものを選ばなければなりません。ムツボシくんは触ってわかるでしょうか。軽く押さえてみました。なるほど、まったく指が沈まない堅いトマトと、少し指が沈み込むトマトの違いは確かにあります。でも、ここからです。柔らかいものの仲間にもどうやら段階があるようなのです。「これ、柔らかいのですが、取ってもいいですか?」と尋ねると、「まだ青いですね」と言われちゃうのです。そう簡単には極められません。でも、このカンカクを高めたら全盲でも園芸楽しめそうです。そう言えば、昔、ある全盲の酪農家は牛を撫でながら、指で白と黒の模様がわかると言っていたことを思い出しました。それに比べたら、トマトの食べ時くらいはムツボシくんでも指先でわかるようになれるのではと思いました。

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もしかして、このトマトは食べ頃では?



 次はトマトの花の観察です。トマトの花ってはじめて触ってみました。でも細部となると指ではよくわかりません。そこで、取って置きの触察器官の登場です。舌先で軽くツンツンするのです。

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許可を得て、舌先で花を観察、めしべの迫力を実感しました。



 最後は栽培の仕組みの探索です。暖房のためのパイプが足下の底に走っており、根元の土には栄養液を送り込む細い管がささっていました。またハウス内の二酸化炭素をコントロールするシステムも作動していました。

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トマトの根っこ付近を探索してみました。



 初めてのトマト狩りでしたが、見える人が一人そばについていただくだけでとても楽しめる体験でした。特に入園にあたり事前に工夫いただくことも準備いただくこともありません。空いている時を選んでみなさんも果物狩りとともに植物観察も楽しんでみてはいかがでしょうか。次はイチゴ狩りにでも出かけたいものです。

[参考]仙台市農業園芸センター/農と触れ合う交流拠点
 http://sendai-nogyo-engei-center.jp/
2017年3月28日

視覚障害者から見た宮城教育大学のバリア改善案を学生たちが教職員研修会にて提案!

 ハーイ!ムツボシくんです。今回は手前味噌の話になっちゃいます。ごめんなさい。学生たちがムツボシくんの所属する「しょうがい学生支援室」スタッフとともに活動してきた「2号館バリアフリー化委員会」というのが本学にはあります。その学生たちの調査活動結果を本学の教職員に聞いてもらいたく17日に学長も招いての教職員研修会を開催することができました。

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学長・副学長など教職員を前にバリアフリー化案を発表する学生たち



 今回のテーマは、「視覚障害者から見た2号館のバリアフリー化に向けて今できること」。2号館というのは本学の学生が最も出入りする事務棟+講義棟の一つであります。この建物内を視覚障害者の立場からバリアフリー化するためには何が必要か?湯水のように予算が準備されているのならそのための提案はある意味簡単な話となります。廊下やトイレ内移動のための手すり、教室番号・窓口名を示す点字および拡大文字表示、トイレ案内の音声、メイン窓口までの点字ブロック誘導などがまずはほしいところです。でも、本学にはこのための予算はまったくありません。幸い音声ガイド付きエレベータと階段昇降部の点字ブロックのみ整備されています。今はムツボシくんも教室のドア数を手探りでカウントしながら講義に出かけるというありさまです。

 そこで、2号館バリアフリー化委員会では、@お金はかかるけど譲歩できない点字ブロック敷設ルートとは? A安価にできる代替サインの方法とは?の2点に焦点を当てて学生たちと調査・検討をしてきました。

 ここでは、柔軟な知恵に満ちた学生たちのバリアフリー化案のいくつかをご紹介します。ムツボシくんも気付かなかった‘ナルホド’を集めてみました。

(1) 2号館にはたどり着いたものの案内を受ける窓口はどこ?ここは点字ブロックが絶対必要!

 建物に入ったもののその先はどうなっているのかわからないため途方にくれるケースは意外と多いものです。原因はメイン窓口までの導線がないからです。この窓口まではやっぱり点字ブロックが必要です。点字ブロックがあるということはその先に必ず安心できる場所があることを暗示しているからです。そこで学生たちも考えました。いかに曲がり角を少なくして単純なルートとするか?玄関からメインの事務窓口ドアまでのルートをです。結果、邪魔な掲示板を移動することで単純なルートが確保できることを発見してくれました。ナルホド!邪魔物はどけちゃえばいいんです。

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玄関からはこんなルートで点字ブロックを敷設してください!



(2) トイレの個室内の点字サインは必ず触るドアの鍵部分につけては?

 トイレの個室での最大の問題は「流すボタンの位置案内」ということに気付いた学生、そこで話し合いの結果出てきたのがこの方法でした。「必ず触る場所ってどこだ?」「そこに点字サインをつけたらいいんじゃない!」→「ペーパーホルダー部分」か「ドアの鍵」。そこで試験的にドアの鍵に「流すボタンは後ろにあります」と書いてみました。書ける文字数に制限がありますのであとは少し探索してもらわないといけませんがナルホド!のアイディアです。

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個室内のドアの鍵部分に点字サイン付けてみました!



(3) 真っ直ぐ延びる廊下、どこが階段口?どこがトイレ口?足裏の感覚でわかる方法として薄いマットを分岐部分に敷けばどう?

 廊下を歩いていても手すりがないためにどこが曲がり角なのか、階段に曲がる入り口なのか、トイレへの入り口なのかが容易にはわかりません。でも、手すりを付ける予算はありません。そこで、学生たちが考えたのがこれらの分岐を示す部分には薄いマットを布き足裏の感覚の違いを出そうというものです。廊下の幅いっぱいに敷けばそのマットを必ず踏むこととなり、「いくつめのマットだからここで曲がればトイレだ」などとわかるようになるのです。ナルホド!です。

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この廊下のT字部に色の異なるマットを敷けばいいのでは?



(4) ドアノブにも点字サインをつけてみました!

 2号館には部屋の名前を記した点字サインがまったくありません。そこで、「ドアには点字ラベルを貼り付けよう」という話がすぐ出てきました。でも、ドアのどこに点字ラベルがあるのかはドアを広く手のひらにてなぞらない限りその場所が見つけられません。そこで、学生たちと考えたのが「ドアノブにも点字ラベルを貼り付けよう」というアイディアでした。ナルホド!ドアノブは教室に入る時に必ず触るもの、必ず探すものだからです。

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教室名の点字サインはドアとあわせてドアノブにもつけてみました!



 この日、発表を聞いた学長がさっそく「お金はあまり出せないけど、本日の学生さんたちから学んだ改善案、できるところから始めましょう!」とムツボシくんと発表学生たちに声をかけてくださいました。お金がない大学なりの精一杯の「誰もが学びやすい大学づくり」を目指して来年度もこの活動が続けられたらと願っているところです。
2017年3月14日

仙台にも広がれ!点図ボランティア

 ハーイ!ムツボシくんです。点図ってご存じですか。本コーナーでも折に触れて取り上げているのでここでは詳しくは書きませんが、「点図ってなに?」という人は過去の記事を見てくださいね。大・中・小の3種のサイズの点を用いて描く点線による図のことです。もちろん、地図も図形も漫画も表現できます。でも、ここ東北地方ではなぜかこの点図を作成してくださるボランティアがなかなか増えないのであります。

 そこで点図教室開催。この企画を立ち上げてくださったのは仙台メディアテーク(市立図書館)です。2日間、4回の連続講座に14名が受講してくださいました。そして、宮城県でも貴重かつ希少な点図ボランティア2名にも駆けつけていただきお手伝いをいただきました。

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点図ソフト「エーデル」の操作説明をしている様子



 点訳ボランティアステップアップ研修会〈点図作成の基礎〉の主な内容はこんな感じでした。

(1)「点図を読み取る力とは?」(3月1日午前)
 アイマスクをして点図を読んでみましょう。点図を利用されるユーザーの気持ちに思いがはせられますでしょうか。実習を通して、点字が読めることと点図が読めるとことは根本的に異なることにも気づいてください。

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点字とは異なる点図独自の世界をアイマスクをして体験してもらいました



(2)「エーデルの初期設定をしたら、さあ中学数学で用いる図形に初チャレンジ!」(3月1日午後)

 スクリーンを見ながら真似るだけで点図の世界に入っていけるようになります。サポータがいますので困ったときは気軽に声をかけてください。お帰りのときには、実際に盲学校の中学数学の授業でも使えるレベルの「直角三角形」が見事に描けるようになっていますよ。

(3)「下絵をなぞれば楽ちんかもね」(3月3日午前)

 一から自分で始める必要はありません。画面に下絵(JPEG等の画像ファイル)を出しちゃえばあとはそれをマウスでなぞるだけで点図が描けちゃいます。楽ちんそうですね、まずは真似てみてムツボシくんの古里・琵琶湖を描いてみましょう。

(4)「あなたならどんなふうに描きますか?」(3月3日午後)

 最終回です。みなさんの活動の拠点でもあり、視覚障害者が多く利用するこのメディアテークのフロアの様子をなんとか見えない人に紹介できないでしょうか。フロアマップの画像を画面に出して、さあなぞってみましょう。わかりやすくするためにはどんなふうに工夫したらいいでしょう。あなたの知恵をお貸しください。まだこの建物のフロア点図は誰も作っていないのです。

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はじめての点図作成に取り組む受講者



 実質、図形点訳ソフト「エーデル」に触れる時間は4.5時間、それなのにであります。会場となっている仙台メディアテークの1階フロア図および2階フロア図をまるで卒業製作かのように全員が仕上げてくださいました。驚きでした。ムツボシくん側スタッフの中では、「まだできていないメディアテークのフロア図です。見本もありません。きっと‘さあ自由に描いてみてください’と言われても途方にくれられる方もおられるのでは…?」と心配しておりました。そんな方のために、簡単なアンパンマンやドラえもんのお絵かき練習教材もこっそり準備していたのです。杞憂でした。フロア図では「階段をどのように表現するのか」「エスカレータの上り下りをどのように知らせるのか」等、点図化にあたって検討しなければいけない課題がたくさんあるんだなということに気づいていただけた点も、この講座の成果となりました。

 描き手の工夫なくしては点図は完成しないとも言えます。それだけにほとんど正解が決まっている文字点訳の作業とは異なります。だからこそおもしろいのです。どんなふうに工夫したら、点字用紙といった決まった範囲にわかりやすい点図が描けるのか、その工夫のやり甲斐・その工夫の伝え合いに共鳴してくださる点図サークルがここ仙台でも誕生していくことをムツボシくんは願っているのであります。
2017年2月5日

生まれ変わるぞ!「笹かま館」の仙台・笹かまぼこ手作り体験

 ハーイ!ムツボシくんです。少し前に「前編」と「後編」の2回に分けて問題提起していた「見えないから危険!これって見える人の優しさなのですか?」という問題。つまり、笹かまぼこ手作り体験からの障害者締め出し問題に関してですが、とってもよい方向で改善されていくこととなりましたので報告させていただきます。

 と言いますのは、1月28日、視覚障害者の立場からの笹かまぼこ手作り体験は本当に危険なのか?の検証を、和解した当該企業の担当者とともに実施させていただいたのであります。300度のかまぼこ焼き体験は本当に危ないの?工夫の余地はないの?がこの日のメインテーマ。仙台市視覚障害者福祉協会から全盲体験者の代表としてムツボシくん、弱視体験者の代表としてNさんが参加、今回の差別事案の仲介役となった青葉区障害者支援係からも係長らが参加、笹かまぼこ手作り体験の工程の丁寧な説明を受けた後、45分の体験教室にいざ出陣と相なったのでありました。

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入室前の準備、手洗い、エプロン、そして帽子をムツボシくんもセット



 笹かまぼこ手作り体験の主な工程を紹介しましょう。魚のすり身はすでに準備されていました。この日のすり身は糸撚鯛(イトヨリダイ)や介党鱈(スケトウダラ)、そしてグチとよばれている黒鯛をあわせたもの。手でしっかりこねるところから始まります。

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とっても細かな粒子のすり身、こね方で焼き上がりのフワフワ感が違うとか…



 こね上げたすり身は串を真ん中に通して写真のような型に入れます。この型が笹かまぼこの形のようです。ここで、弱視のNさんからのチェックが入りました。

 【具材と同色の道具は避ける】「型の色まで白くちゃ、見えにくいですね」。まな板も黒色にするとコントラストがはっきりします。型が赤色、そこに白色のすり身だったら見やすくなりますね。

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型に入れて笹かまぼこの整形です。すり身も型もまな板も白っぽければ見えにくいです!



 さあ、型から外せば後は焼くだけ!300度にまでなる問題の焼き器とのご対面です。こんなふうに焼き器に作ったばかりのかまぼこの串をひっかけるのです。この串のセットの仕方は全盲のムツボシくんにはなかなか理解できませんでした。でも、まだ熱が入らない間での串のセットなら、やけどの心配はありません。何度も繰り返し練習ができました。特に、この後、片面が焼けたらひっくり返す作業が待っているようです。ひっくり返すときはもちろん焼き器に火は入っているのですから、今のうちにひっくり返し方も十分練習しとかなきゃです。

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串にさして整形した笹かまぼこ2本、焼き器にセットしてみました



 いよいよスイッチオン。あっという間に顔の位置まで熱が迫ってきます。すごいパワーです。300度になるので危険!と心配する人の気持ちもわかる感じです。「そろそろ串を持ってひっくり返しましょう」の合図が飛びました。

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手袋をつけたら、串の先を持ってかまぼこを少し立てて、串を半回転させ焼き面を裏返します



 この焼き面を裏返す作業はなかなか難しいものでした。耐熱用の手袋があるので、間違って焼き器そのものに触れてやけどってな心配はそれほどありませんが、作業がしにくいのであります。どうしてでしょう。そこでムツボシくんからのチェックが連発です。

 【串が短い】焼き器から手前に飛び出している串の部分が短いため持ちにくいのです。あと10センチ串が長くても作り方には影響ありません。その伸ばした10センチに手触りの違う感触を付けていただけたら、この10センチの串の部分を持って作業さえすれば焼き器に近づきすぎないという安心につながるのです。

 【串の位置がわからん】焼き器のどの位置に串をさしていたかが、手をいったん離すともうわからなくなってしまいます。なんせ相手は300度の焼き器です。やたらと触るわけにもいきません。とは言え、間違って手に触れるフレーム部までもが300度になるなんてことはないので実際は間違って触れても「あちちっ!」と叫ぶくらいなんでしょうが…、それでも触りたくはありません。でも今回は視覚障害者を代表しての検証中、、耐熱用手袋の効果やいかに?わざと焼き器のフレームに触れてみました。さすが耐熱手袋、「あちちっ!」と叫ぶほどではありませんでした。それでも、自分がセットした串の位置がわかる手段がほしいものです。串の位置を全盲者に教える方法はいくつかあります。串のある真下のテーブルに何か目印を置くなどは最も簡単な方法でしょう。

 【事前模擬体験が大切】いきなり熱の入った焼き器を前に「では、ひっくり返してください」と言われてもできません。かと言って、「危ないのでこちらでひっくり返しましょう」と代わりにやってもらっては意味がありません。こんな場合は、事前に模擬体験をさせてほしいのです。串付き笹かまのレプリカがあるといいですね。熱を入れる前の焼き器を前に、そのレプリカかまぼこの串を相手に、焼き器への串のひっかけ方や串を立ててのひっくり返し方の練習をしておけば、その段階でかなり正確なイメージができますのでバッチリ本番に臨めるのです。
 焼けました!焼けました!風味、香ばしさ、そしてふわふわ感、すべてが家で食べるものとは違います。やはり、できたて焼きたては格別のお味でした。

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2本焼き上がりました。チーズ入り笹かまぼこもおいしい!



 こうして、「笹かま館」のスタッフのみなさんにはこの検証体験を通して、視覚障害者の体験時のために改善すべきポイントについてわかったことをすべて納得していただくことができました。この他にも、弱視のNさんからは、施設内の照明の色の問題、石鹸ボトルに「石鹸」と見やすく書いてほしいこと、全工程がよくわかるビデオを音声解説付き動画にて事前に流してほしいこと、ホームページの改善点など指摘していただきました。

 昨年12月、「障害者の方は一人では体験できません」と潔く断られたことから始まった今回の話、こうして、無事、障害者にも開かれる体験として生まれ変わることができそうです。「300度の焼き器は見えない人には危ない!」とは、視覚障害者を慮る優しさなんかではなく、単にこれまでの体験教室のスタイルを変えたくないだけだったことがわかりました。そして、「工夫」することによりムツボシくんのような重度の視覚障害者でも同じ体験内容ができることもわかったのでありました。「工夫」を模索することなく、危ないと判断されちゃったら、これまでだったら「ミニ体験」で我慢してくださいって言われて、ある意味「泣き寝入り」だったのでした。ちなみに、「ミニ体験」とは、すでに串にさして蒸し上げた笹かまぼこを網の上に乗せて焼く体験なのです。今回紹介した手作り体験とはまったくの別物なのです。

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これがミニ体験、配られた笹かまぼこを各自で焼き網の上に乗せるだけです



 こうして考えてくると、この話はかまぼこ作りに限らないことがわかります。視覚障害者は「危ない!」の偽善的一言によって社会からけっこう排除されているのです。見えない人は危ないのでこの「ミニ体験」をしてもらいます、と言い切ることで「代替案を私たちは準備しているのです、ちゃんと見えない人のことも考えているのですよ。偉いでしょ。」と世間はけっこう胸を張ってはいないでしょうか。それって何も工夫することなく排除しているのと同義なのです。「全く見えない人にしていただく仕事はこの会社にはありません。働いてはもらえませんが、その代替案として障害者年金を支給しますから、家でゆっくりしてください。」と今も言われ続けている重度視覚障害者に対するこの社会の構図ともどこか類似しているのであります。

写真8
かまぼこの名前の由来となったのは植物の「ガマの穂」。フランクフルトのような穂の穂の形が串にさしたすり身の形に確かに見えます。

[参考サイト]
○宮城の食と文化のアミューズメントパーク/かまぼこの国・笹かま館
 http://www.kanezaki.co.jp/belle_factory/
2017年1月28日

視覚障害者にとっての魅力的な体験、その5つの条件を考えた!

 ハーイ!ムツボシくんです。視覚障害者にとっての旅の楽しみの一つに「はじめての体験ができる」というものがあります。「やってみたーい」って気持ちは見えても見えなくても同じ。でも、見えないムツボシくんを「ここはひとつ出かけてみるか」ってことにさせる魅力的な体験となると、そうあるものではありません。

 それがあったのであります。牡蠣むき体験なのであります。

 さっそくゼミの学生たちと出かけてきました。JR仙石線で仙台から約1時間、東名駅下車タクシーにて10分、向かったのは漁師の阿部さんが経営している牡蠣小屋であります。

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目の前は松島湾、阿部さんの牡蠣小屋



 この牡蠣小屋にたどり着くまでにどれだけ電話にて断られたことでしょう。「見えないと危ないです。」「ナイフみたいな道具を使いますので…」「ケガをされては困りますので」などなど。

 そんな中でムツボシくんの話を聞いてくれる旅のコンサル業をしている会社があったのです。東松島市にある株式会社ソーシャルイマジンがそれです。こちらの社長Sさんは京都出身、あの震災時のボランティア活動を続けている中で東松島市に住み着かれた人です。見えなくても楽しめる体験をしたいというムツボシくんの気持ちを受け止めてくださり、さっそく知り合いの漁師さんと交渉をしてくださったのでした。

 小屋に入るとさっそく始まりました。「こちらは蒸し牡蠣です。」と阿部さんが触らせてくれました。ムツボシくん、内心は「えっ、ナマじゃないの? やっぱりナマの牡蠣むきは危ないからと思われて体験できないのか」とがっかりしかけていたのでした。牡蠣むきはナマの牡蠣での体験でないとなんか本物の体験をした気分になれないと思っていたのであります。ところがです。阿部さんには阿部さんの見えない人への教え方のカリキュラムがあったことがじわじわわかってきました。

 まずは蒸し牡蠣で練習をしてほしいというのがそれだったのです。というのは牡蠣を殻から外すにはナイフを殻の中に差し入れ、手探りで貝柱をカットする必要があります。でも、この貝柱がナマの牡蠣だととても堅いと言います。そこで、蒸し牡蠣での練習となったのでした。問題はナイフを差し入れる位置を探し出しうまく中に入れ込むこと、これも蒸し牡蠣だと堅く閉ざしていた殻のつなぎ合わせ目がほぐれて差し込みやすくなっているのでした。蒸しすぎたら殻はフタを開けてしまいます。それでは牡蠣むき体験にはなりません。なんと阿部さんはちょうどよい蒸し加減にした牡蠣を数十個も準備してくれていたのでした。

写真2
最初はゴム手袋をはめてやってみた!



 「納得いくまで何個でもむいてみてください」と阿部さん、ムツボシくんはこの言葉を待っていたのです。見えないとどうしても自分で納得するまでに時間がかかります。思い違いを修正したり、自分なりのコツを見つけたりと。そうしてたどり着いた手の感覚だけでやり遂げた実感は何ものにもかえがたい満足感をもたらすのです。ムツボシくんは、気がつけばケガ防止のためのゴム手袋も拒否して自分の手の感覚を頼りにナイフをブスッと突き刺すことに集中していたのでありました。

写真3
この辺りにナイフを突きさすことさえ成功したら、牡蠣むきなんて後は得意の手探り



写真4
フタ側にも貝柱を切る場所がもう一箇所あるんです



 なんせ蒸し牡蠣です。むけた牡蠣はその場でパクリっ…、これがまあでかいことでかいこと。実に美味なのであります。阿部さんは「実はケガされないかなとひやひやものでした」とあとで白状されていましたが、この時はちゃんと見守ってくれていました。本当は「あっ、危ないです」とムツボシくんの手元を押さえて停止させたかったでしょう。でも、それをされたら楽しさは半減なのです。


写真5
ではでは、むけたものからさっそくパクリッ!

 こうして10個もむいた時でしょうか、一人でむくコツがわかってきました。「ではナマ牡蠣にチャレンジしてみましょう」と許可がおりました。ナマの堅い貝柱に挑戦すること2個目でなんとムツボシくんは自力にてナマ牡蠣もむけるようになったのでありました。

 ここで、旅先における視覚障害者にとっての体験を魅力的なものにするための5つの条件についてまとめてみましょう。

 (1)何よりそれがはじめての体験であること。

 (2)最初から最後まで自力でできたという感じがその体験に伴うように工夫されていること。

 (3)体験過程、体験の場、体験の道具などのイメージが触ったり話を聞いたりしてしっかり形成できる工夫があること。

 (4)繰り返せたり、前に戻れたりといった柔軟な体験の流れにより納得できるまで体験ができること。

(5)見えなくてもどのようにするのかを見守りながらすすめてくれるスタッフがいること。

 別れ際に牡蠣の養殖場に向かうための船も見せていただきました。これも初めてのことです。数十メートルにもなる牡蠣のロープを巻き上げる仕組みを教えてもらいました。

写真6
これが松島湾に浮かぶ牡蠣養殖場にて牡蠣を巻き上げる船



 ただ、やはり実際に巻き上げているところにこの船で行ってみたいものです。その話をすると、阿部さん、「今はとても寒い作業です。ぜひ4月〜5月に来てください。船で案内しますよ」ですって。こういう一言がまた観光地・松島の牡蠣むき体験を何倍も魅力的にするのです。いかがでしたか。見えない人にとっての魅力的な体験の仕組み。これって、実は見えているみなさんにも魅力的だったのではありませんか…?

[参考サイト]
○(株)ソーシャルイマジン(イメージマイスター・創造屋)
 http://socialimagine.wixsite.com/sist
2017年1月4日

「見えないから危険!」、これって見える人の優しさなのですか?〈後編)

 ハーイ!ムツボシくんです。かまぼこ館にてかまぼこ手作り体験を断られた話の続きです。先方の言い分を復習しておきます。「障害のある人の一人参加での体験はお断りしている」「障害者を断っているのではない。必ず介助者と一緒にきてほしい」と言うものでした。

 しかし、かまぼこ屋さんには残念ですが、これは明らかに、障害者差別解消法の第8条1項が禁止している「不当な差別的取り扱い」なのです。「障害者差別解消法衛生事業者向けガイドライン〜衛生分野における事業者が講ずべき障害を理由とする差別を解消するための措置に関する対応指針〜」(平成27年11月、厚生労働大臣決定)には不当な差別的取扱いと考えられる例として、こんな文言があります。

 「事業者が衛生サービスを提供するに際して、次のような取扱いをすることは「不当な差別的取扱い」となるおそれがあります。(中略)○サービスの利用に際し条件を付すこと(障害のない者には付さない条件を付すこと)・ 保護者や支援者・介助者の同伴をサービスの利用条件とすること・ サービスの利用にあたって、他の利用者と異なる手順を課すこと(他の利用者の同意を求めるなど) 」

 その日のうちに、私は青葉区役所に電話。窓口は障害企画課障害支援係。障害者差別解消法の8条関係にて禁止されている不当な差別的取り扱いを受けたこと、話合いの申し出もはねつけられたことを伝えました。そして、先方と話し合いを続けたいのでぜひ仲裁をしてほしいとお願いしました。

 次の日、ネットから、このかまぼこ屋のお客様相談室にメールを入れました。「このようなことがあったが、これの事実確認をしてほしい」と。もしかしたら、あの時の先方のKさんは、私とのやり取りを報告していない可能性があります。うやむやにならないうちに、事実確認だけはしておこうとメールを入れたのであります。

 ただちに先方のお客様相談室長は事実確認もしてくれました。そして、あのときの対応のまずさを謝罪するメールも届きました。「ぜひお会いして話を聞いてほしい」とも書かれていました。

 でも、私は断りました。「いま、区役所を通して仲裁をもとめているので、第三者を入れてでないと話し合いには応じたくはありません」とお返事させていただきました。

 区役所は適切な対応をしてくれました。私と先方に聞き取りを実施、そして互いの話に事実認識でそごがないことを確認しました。話し合いのテーブルは12月26日、区役所内にてもたれました。先方からは社長とお客様対応の取締役が、区役所からは関係係長らが参加。不当な差別的取り扱いだったことをすでに認めていた先方からは、さっそく「改善策」に関する6点の提案がありました。要約します。

@ホームページの改善…体験の時にお手伝いが必要なお客様への案内をすること等
Aご予約時の承り方法の改善…双方で話し合い、納得のいく内容とする等
B現場での対応の仕方…ご予約時に空いている日時をお知らせし、もしその時間に入っていただけるようであれば貸切で受け付ける。全ての時間帯が埋まっているようであれば、特別な時間帯を設ける。スタッフ(講師)が専属にて介添えする(ご予約なしでいらしゃった場合も上記と同じ対応)等
C代替案の提示…実際にやってみて体験が難しいと判断した場合はプチ体験をおすすめする等
D障害者理解のための研修の実施
E施設の整備(バリアフリー化の推進)

 以上のことから、私が求めていた「障害者の単独による体験」が認められたことがわかります。また、スタッフが手伝ってくれることも明示されました。ただ、ひとつ、Cは注意が必要です。Cでは「やってみて無理だったら代替案を提示する」とありますが、これはこれでよい対応となるケースもあります。でも、その体験の内容に対して「弊社はできる人だけ受け入れています」「300度が危険だと判断した場合は代替案にてお願いします」となりかねません。そこで、誠意ある改善策に感謝しつつもこの点で少し話し合いをしてもらいました。

 貴社が準備されている体験内容、体験の流れは固定です、何が何でも変更はありません。そんな考えが透けて見えるのではせっかくの話し合いも発展性を失います。「見えないと危ない」→「だから300度の焼きの工程は体験から省く」というのは本当に障害のある人にも「かまぼこのおいしさ、たのしさ」をわかってほしいという貴社の気持ちの表れと言えるのでしょうか。かまぼこ作りの工程から「焼きの工程」がないことこそ不自然です。「危ない=省く」という前に「危ない=工夫する」という柔軟な体験内容の見直しがほしいのです。例えば、串につけた手作りかまぼこを300度になる電熱器に乗せるのが危ないのなら、串を長くするとか、間違って触れても大丈夫な熱に強い手袋を準備するとか、あるいはまだ熱の入っていない段階であらかじめこの電熱器を事前に触らせてもらっておく等、いくつもの危険回避のための工夫はあるのです。

 この日、先方はこの点も理解してくださいました。そして、来年の早い時期に私にぜひ体験をしてもらい、どんな体験の流れがよいのか提案してほしいということとなりました。もちろん、私としては異存はありません。でも、私の意見がすべての視覚障害者向け対応と思ってもらっては困るので、ぜひ仙台市視覚障害者福祉協会とも連携し幅広く視覚障害者が楽しめるかまぼこ手作り体験の内容検討を一緒にさせてほしいことをお願いしました。原料となる魚も触りたいし、すり身にする作業からしてみたいとは私の個人的願いですとも伝えさせていただきました。

 「見えないから危ない!〜だから遠慮してください」。これって見える人の優しさなんでしょうか。見えない人の排除ではないのでしょうか。見えない人のことをいかにも考えているような振りをしての、見える私たちのやり方に合わせられないのなら残念ですがしかたありませんねと言っている「排除」そのものです。この「いかにも障害のある人のことを考えている振り」が「共生社会の実現」というスローガンとの実は裏表だったという世の中を私は絶対に認めたくはないのであります。

[参考サイト] 障害者差別解消法衛生事業者向けガイドライン
http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/
shougaishahukushi/sabetsu_kaisho/dl/eisei_guideline.txt