第6回 インクルーシブ教育時代における盲学校の歩き方ルート集



宮城教育大学教授  長尾 博

T. はじめに整理することは、盲学校は今後地域支援にどう向かい合うのかである

 「インクルーシブ教育時代における盲教育は、だれがどこでするのか?未だにこの問いかけに答えを出せずにいる盲学校関係者がいるとしたら筆者は悲しい。筆者は2008年に本誌においてすでにこの問いかけを行なっている(註1)。詳しくはその論考を振り返ってほしいが、あれからちょうど10年がたつ今、あの時の「地域支援は盲教育を雲散霧消させて行くのでは…」といった懸念を筆者は今も拭い去ることはできない。現在も生徒減に歯止めをかけられず、関係者が集まれば「専門性の維持継承」の議論に花が咲くのが盲学校である。今となれば「盲学校から盲教育の専門性が消えるかどうか」みたいな自虐思考に意味は無い。子どもを持った後で父親が「私に父としての資格があるのか」と悩まれても困るのはその子どもである。資格があるかないかではなく、とにかく彼には父としての責任があるのだ。同様にとにかく盲学校には盲児をあずかっているという責任があるのだ。従って、盲学校には盲教育の専門家を育成する場として現代のインクルーシブ教育をこのさきどのように歩いていくべきかを考えてほしい。議論の中心は「専門性とは何か」ではなく、専門性を滾々とたたえ続け得る「盲教育の場作りのためのシステム再構築」である。各地域において、現在の盲教育の唯一本源的な場として盲学校が名乗り出るのであれば、このシステム再構築に向けてどのように歩み出すのかが盲学校には問われているのである。ここに確信を持つためには、弱視学級支援をはじめとする従来型の地域支援に対する見直しの決意が必要である。現在の日本型インクルーシブ教育の中で盲教育はどこに存在しそれをだれが維持発展させているのか。これからの盲学校の役割と地域支援の意味について検討することがこれからの盲学校の歩き方を規定すると筆者は考えている。

 そこで、盲学校が担っているセンター的機能の一つとしての地域支援について、まずは筆者の立場を再論させてほしい(註2)。まとめて言うならこうなる。「まるで盲学校からの地域支援を続ければ地域に盲教育のノウハウが根付くかのような幻想はもうやめよう。そして、センター的機能としての地域支援の拡充こそが盲学校の生き残りにつながるというのも幻想である」と。盲学校から持ち出す視覚障害教育のノウハウは地域校に蓄積されることなく毎年毎年初心者研修レベルの内容を繰り返していると嘆く盲学校関係者は多い。蓄積されていかないのが空しいから、地域支援をやめようと言うのではない。その程度の繰り返ししかできない地域校に通うことを中核としているのがわが国の視覚障害児のためのインクルーシブ教育なのである。システムがおかしいのである。インクルーシブ教育システムが急ピッチで各地に設置したのが地域支援をそれこそ中心に据えた特別支援教育センターではなかったのか。そこがである。「視覚障害教育支援の専門の方は本センターにはおられません。盲学校の先生に巡回指導を頼んでください」と言い続けるインクルーシブ教育とは何を目指しているのだろうか。換言すればこうなる。盲学校は、本来、地域の特別支援教育センターが行なうべき日本型インクルーシブ教育の御用聞きとなって安上がりの地域支援を続けてきたのである。仕事の名も「センター‘的’機能」である。‘センター的’などとお茶を濁すのではなく地域の特別支援教育センターといった機関が正面から担う「センター機能」として、各地ごとに地域支援を専門に担うセンターがすべき仕事だったのである。これまでの盲学校の地域支援が無意味と言っているのではない。その場その時期において地域に学ぶ子ども達を支援した実績を筆者は否定しない。その仕事であればあえて盲学校ではなく、他障害ニーズと同様に地域にある特別支援教育センターがすべきであると言っているのである。視覚障害教育のノウハウの蓄積を産むことなく20年近くを「センター的機能」と言う名のもとに漫然と繰り返し、それがあたかもわが国のインクルーシブ教育の充実・発展につながると言う期待ももはや幻想であることを暴露している日本型インクルーシブ教育システムに、盲学校の専門性ある教師をこれ以上消耗させ続ける権利はないのである。仮にもわが国がインクルーシブ教育を標榜するのなら、「地域校を選ぶなら魅力は子ども集団、盲学校を選ぶなら魅力は少人数による専門教育」と耳にたこができた二者択一をなぜいまだに保護者に説明して就学関係者は恥じないのだろう。「教育の場が選択できる=これこそ日本型特別支援教育の魅力です。」かのような論をよく耳にするが、「子ども集団を取るか、それとも専門教育を取るか」と迫ることを「選択の自由」にすり替えている日本型インクルーシブ教育にどんな魅力ある未来が見えてくるのだろう。視覚障害児へのこの日本型インクルーシブ教育がもたらすわが国の地域支援の空回りシステムに漫然と盲学校が付き合う必要はないのである。盲教育はだれがどこでするのか。もちろん盲教育は、盲教育の場を持つ盲学校において盲教育の専門家が行なうのである。それが宣言できず躊躇する視覚特別支援学校があるとしたらそこにはどんな支援を期待する障害児が通うのだろう。

U. 盲学校を希望する生徒とは? 選ばない生徒とは?

 次に筆者は盲学校の現状を分析する視点として、「盲学校をどんなタイプの子が選び、反対にどんなタイプの子が選ばないのか」を分析することが有効であると考える。

●盲学校をあえて選ぶ3つのケース

 まずは盲学校への就学を選ぶことの方が「認定特別支援学校就学者」とされるこの時代にもかかわらず、あえて盲学校に在籍している物の3つのケースを見てみよう。

 a.【点字で学習するなら盲学校しかないと信じたインクルーシブ教育不安型】点字使用児のうち、保護者が、地域ではしっかり学べないと判断されたケースである。また日常支援が可能な視覚障害当事者や相談員、点訳者が地域の中に見いだせず不安な場合である。

 b.【インクルーシブ教育からの消極的脱出型】地域校に通っていたが、クラスにいづらくなったり、勉強がついていけなくなったりして地域校への魅力を失い盲学校に転校してくるケースである。勉強の遅れや地域校集団内での気まずさを引き起こした主因を「視覚障害」にのみ求めたいタイプになりやすい傾向がある。

 c.【インクルーシブ教育からの積極的脱出型】何らかの発達障害との重複障害があり、地域ではしっかり見てもらえないと保護者が判断されたケースである。障害が重度であればあるほど保護者はわが子の専門家として当然振る舞われる。「どうして分かってもらえないの」という思いが募ると責任のすべてがその地域校へと転嫁する。半面、盲学校への魅力が増すのである。

 ただ、これらの3ケースにあてはまる子どものすべてが盲学校に来ているわけではない。特に幼稚部や小学部では、これら3ケース該当でも、「盲学校のある町までは通えない」、「盲学校に行きたいが、まだ小さなわが子を寄宿舎にはいれたくない」という保護者も多いのである。

 また、これとは反対に、積極的に盲学校を選ばないケースは次の3つである。

●盲学校をあえて選ばない3つのケース

 @【統合教育成功型】地域校での一斉授業についていけて、クラスへの所属感がある程度以上もてるケースである。乱暴な言い方をすれば、情報提供と学習技術の提供が支援の中心となり、マニュアル化された支援が可能となる場合も多い。

 A【弱視学級逃げ込み型】原学級にはなじめないが、弱視学級を設置してもらうことでようやく地域校に居場所を確保できているケース。

 B【地域校幻想型】保護者が地域校での不適応を認めたくないケース。また、子ども自身も社会性などの発達的幼さからクラスで浮いていても気にならないで通い続けられるケースである。
 このAの「弱視学級逃げ込み型」とBの「地域校幻想型」の盲学校からの支援はマニュアル通りとはいかず、ともすれば激しく対立しあう地域校の立場と保護者の立場の間で指導法をめぐって板挟みになることも多いケースである。

V. インクルーシブ教育時代の盲学校の歩き方ルート集

 さて、ここまでの筆者の現状分析、すなわち、盲学校が行なってきた地域支援は盲教育を雲散霧消するという考え方、および盲学校を選ぶケースと選ばないケースの分類に読者はどの程度耳を傾けていただけただろう。当然、論は「このさき盲学校はどうすべきか」という具体的な話へと進む。それは同時に、2016年度本誌の協力を得て5回にわたって隔月連載した「盲学校に聞く“インクルーシブ教育時代の歩き方”」に対する筆者の結語となる。筆者はそれをインクルーシブ教育時代を歩む盲学校のためのルート集として最後に記しておきたい。

 【Root01】盲学校はセンター的機能の名のもとに行う「地域支援の御用聞き」はもうやめよう!

 センター的機能による地域支援が盲教育を地域校に持ち出せるというのは幻想にすぎないことはすでに述べた。「廃校にだけはしないでください。本校の生徒減の分だけそれに見合うセンター的役割を地域にて果たしているのですから」と言い続けるのはもうやめようではないか。そして、「どうか廃校にはしないでください。盲学校には専門性があるのですから」と言うのなら、専門性をこのまま薄めていくだけの従来型センター的役割にこれ以上付き合う必要はない。盲学校がこれからも視覚障害教育の専門機関だと言うのであれば、その専門機関としての実力を磨き、生かす仕事こそが本職である。そこに100年を超える盲学校教育の誇りを感じて仕事をすべきである。

 視覚障害に関わる御用聞き的地域支援事業は、盲学校ではなく、地域の特別支援教育センターが行うようにすればよいのである。それでは、地域に学ぶ子どもたちを放っておくのか。そうではない。盲学校のノウハウがつまった授業(教科教育、重複教育、職業教育、障害受容教育等)、視覚障害者としてどう生きるかを踏まえた人づくり教育、見えなくても汗をかく喜びがわかるスポーツ教室、見えなくても楽しめる余暇教室等、盲学校の魅力に関心をもつ子ども達を集めての授業体験や学校公開等にもっと打って出ればよいのである。これこそ盲学校の実力を磨き、それを生かしたセンター的役割である。出て行くのではなく集めるのである。

 また、盲学校が地域校に対して行うべき「御用聞きではない本当に必要な地域支援はそれでも残る。それは、盲教育の専門家だからこそできる見極めを伴う次のような相談業務である。

 従来通り、地域支援を続けていても、巡回指導でうまくいくのは「統合教育成功型」だけであることを地域には伝えるのである。「弱視学級逃げ込み型」や「地域校幻想型」の生徒やその保護者に対しては、盲学校はもっと積極的に次のような盲学校の魅力をぶつける必要があると考える。

 A.「中学校以降の地域校支援は情報提供の範囲でしかできないのです」と宣言すること。「学力、過度の依頼心、問題解決能力などに心配があるのなら盲学校に来なさい。盲学校はあなたの夢を実現できる力を支援します。」と自信をもって本人・保護者に伝える。

 B.「盲学校には集団がない、同学年の友だちがいない」と嘆く保護者とは、小学校低学年の間は一緒に様子をみること。そして、そのケースが「統合教育成功型」となるかどうかを見極める。しかし、地域校での不適応が高学年以降見えてきたら、「個を伸ばす盲学校の教育の魅力」を自信をもって話すようにしよう。

 C.盲学校教員であることにもっと自信を持つこと。点訳ボランティアが巡回してもできるようなことばかりを地域校でしなくてもよいのである。盲教育専門家でないとできない地域校に対する仕事とは何か。それは、子どもの地域校での適応・不適応の状態を分析することである。そして子どもにとって最適の教育の場をいろいろな条件の中で提案していくことである。どこでだれにどうやって学んでいくのがよいか」を現状を踏まえて提案できる力こそ盲学校教員としての地域支援担当者がもつべき専門性といえるのである。

 従って、これまで行なってきた視覚評価、弱視レンズ選定、点字教材相談、支援機器相談などは特別支援教育センター内の御用聞き視覚障害専門相談員に任せればよいのである。

 【Root02】生徒減問題と盲学校の専門性維持問題、加えて地域校に盲教育が持ち込めるかという問題を一挙に解決する方法はこれだ!

 一石三鳥のこの方法とは、“私たちに弱視学級を運営させてほしい。”また、通常学級在籍なら、“毎週1回以上は巡回でき、その地域校のクラス運営にも発言できる辞令がほしい。盲学校と地域校との兼務辞令でもよい。”もし、それができないというのなら、盲教育は盲学校でしかできないと宣言してはいかがか。

 弱視学級を盲学校の学級数としてカウントし、その経営を盲学校が行う。すなわち、盲学校からは小学6年間を3年区切りにて2名(もしくは2年区切りにて3名)の教員を地域校に派遣し、地域校との兼務辞令のもと、事実上地域校勤務を行うのである。ある地域校に弱視学級が一度開設されたとしても、同校に2度目の弱視学級設置が行われる確率はどれほどだろうか。市町村立地域校が自前でたまにしか設置されない弱視学級に応じてその設置時期だけでも視覚障害教育の専門家を準備することは極めて困難である。これに対して、盲学校辞令を持つ者が順次県内弱視学級を担当して歩く方法はとても合理的かつ盲教育を県内に維持しつづけられる方法となる。また弱視学級への「担当者に専門性がない」「担当者が毎年ころころ変わりすぎる」「専門的な教育を受けられると思って入ったのに未経験な臨時職員が当てられた」などの保護者による従来からの批判にも対応できるのである。

 この点は長年、議論を繰り返してきた「盲学校の専門性をいかに維持・継承するか」にも答えを出す。この専門性は盲学校のどこに存在しているのか。つまりは視覚障害児を1箇所に集める教育の場に存在しているのか、それとも一人ひとりの教員の中に存在しているのかである。もちろん、これらを区別・分離することはできないと言われる方には、こう問いかける。盲学校が廃校となっても専門性を有する教員は養成できるのか。視覚障害を目指す教員は盲学校なきあとどこでその専門性を高めていくのか。今増加しつつある地域支援の件数…、求められるセンター的機能の充実…、では、これら地域支援の中に、視覚障害教育の専門性を熟成してくれる場があるとでも言うのであろうか。専門性はそれを持つ教員がいて県内を循環すれば維持できるのではない。泉が湧くごとく専門性をこんこんとたたえ続ける場が必要なのである。盲学校にあったはずのその専門性の泉を枯らしてはならない。

 【Root03】〔盲学校は地域校化してはいないか?〕‘あなたの夢の実現を私たちは応援します’と心から言える盲学校づくりをすすめよう!

 なりたい職業や実現したい夢を見つけ出す道のりは、普通校のそれでいいのか?筆者は、「見えない、見えにくい」という自己理解は幼児期からの課題として位置づける。そして、児童期には、ぜひ、見えなくても、見えにくくても工夫や支援の中でできる職業(夢)を求め、そのためのぶれない生き方を追い続けた人、実際にその道を開こうとチャレンジしてきた先輩たちがいたことに目を向けさせたい。その中で、子どもたちが見つけたものがあればこそ、「がんばってみたら」という加熱に意味があるのである。

 こうして、新たな道を切り拓いて世に出ていこうとする子どもたちに対して、盲学校ははたして見守るだけでよいのかを考えるべきである。その「やりたいこと」が実現可能かどうかについての探求(判断)は、基本的に生徒個人に任せていいのであろうか。視覚障害者とともに働く共生社会実現に向けて、歴史ある盲学校だからこそ具体的に社会に発信しないといけないことがあるのではないだろうか。「目の見えない人にしていただく仕事はうちにはありません」というのが採用拒否の理由として成り立つ社会がいまだに目の前にあるのである。考えてみてほしい。盲学校の職員集団以上に見える人と見えない人とが協力して働いている職場が日本のどこにあるだろう。盲学校には見えない人を職場内で生かすノウハウがあるのである。

 そして、これから盲学校はどんな子どもを世に出したいのかである。視覚障害者としてのキャリアアンカーをもつ人材の育成を目指してほしいと考える。盲学校教育で位置づけるべきキャリアアンカーとは、自己の障害を改善・克服するために身につけた諸能力だけでは社会参加が実現できない場面において、合理的な配慮を申し出て関係者と調整しつつ時間をかけてでも、その諸能力の全面的な発揮、やりたいことの実現を目指して進む差別に負けない軸(心)である(註3)。すなわち、キャリアアンカーを育てる盲学校となっているかが問われているのである。今の世の中において、視覚障害をもちながら生きる上で訴えていきたいこと(やるべきこと)は、すべて見える人たちがすでにちゃんと考えてくれているという理解でいいのだろうか。盲学校は、視覚障害者の生き方を語っているか、見せているか。見えない人と見える人が支え合って働き、ともに生きるための工夫や方法を社会に発信しているのだろうか。このように、夢を語り実現するための教育を盲学校は学校づくりとして再構築するべきである。

 【Root04】〔盲学校は地域校化してはいないか?その2〕‘準ずる教育’を目指すのではなく、視覚障害者としてどう生きるか」の道標を掲げる学校づくりをもっと意識してすすめよう!

 全国の盲学校要覧で、小学部目標によく見られるものとして、「基本的な生活習慣の定着を図る」と「発達段階に応じた教育活動を工夫し、一人ひとりの資質や能力を伸ばす」などの文言がある。どこにも「視覚障害者としてどう生きるか」に関わる文言が見られないのはなぜなのだろう。そんなこと当たり前だからだろうか。「準ずる教育」を目指すことだけが目的となることに満足してはいないだろうか。地域校と同じ教科書内容であること、盲学校からも大学進学ができること、公立学校間で教員移動ができること等、盲学校のほとんどは確かに誰もがみとめる公立学校の一つとなった。しかし、それは地域校に同化することではないのだ。

 「私は「人に助けてもらうことはあたりまえなんだ」といつからか思うようになりました。私は助けてくれた人に「ありがとう」と言わなくなりました。(…)物を拾ってもらう時や、誰かに道を譲ってもらったときも「私を助けてくれるのはあたりまえ」と思っていました」(註4)。これは中学部から盲学校に進学したある視覚障害児の地域校時代の自分をとても正直に振り返った作文の一説である。筆者も盲学校教員時代に地域校から進学してきた普通科入学生が物を廊下で落とした時にその場で右手を前に出したままつったっている光景に出会っている。彼は「誰か拾ってこの手にのせてください」と無言のまま佇立していたのである。地域校で学ぶと「やってもらうことが当たり前」と思う子どもになってしまうとはもちろん言い切れない。しかし、盲学校だったら絶対このような子どもたちには育てないと筆者は言い切りたいのである。

 教育経済学者の中室氏はその著書「学力の経済学」の中で就学前に室の他界幼児教育を受けることで子どもたちの学力が上昇し、その結果将来の高学歴や高収入につながったとされる「ペディ幼稚園教育プログラム」(1962〜67年にアメリカで実施、被験児が40歳になるまで継続調査)を紹介している(註5)。しかし、中室氏が着目するのはその点ではない。IQや学力テストで計測される認知能力は、ペディ幼稚園教育プログラムを受けても受けていなくても8歳以降あまり差は見られないことがわかったという点であり、むしろこのペディ幼稚園教育プログラムによって改善されたのはいわゆる「生きる力」と呼ばれる非認知スキルまたは非認知能力だったという点である。就学前からのこの非認知能力を促す教育プログラムが結果的に将来の学歴、年収、雇用状況において大きな差を生じさせていたことがわかったのである。この将来の高学歴や高収入につながった非認知能力とは、@自分に対する自信がある(自己認識) Aやり抜く力がある Bやる気がある(意欲) C忍耐強い D粘り強い E意志力が強い(自制心) F自分の状況が客観的に把握できる(メタ認知) Gリーダーシップがある・社会性がある Hすぐに立ち直る・うまく対応する(回復力と対処能力) I創造性に富む・工夫する J性格的には神経質・外向的・好奇心が強い・協調性がある・誠実であることなどとされているのだ。筆者はこれこそ視覚障害者としてどう生きるかを子どもたちに迫っていくための盲学校だからこそ培える能力に通ずるものではないだろうかと考える。盲学校は、義務教育段階以降、学力の「準ずる教育」だけに目を奪われていたのではだめなのである。また就学全教育段階においても、特に盲学校に設置される幼稚部だからといって、あるいは地域園との平行通園のため週1回しか盲学校には顔を見せない視覚障害幼児だからといって、「見え方」に焦点を当てた教育だけがなされているとしたら再考が必要である。すなわち、視覚障害幼児の非認知能力の開発に向けてのアプローチはだれがどこでどうやってするのか盲学校の幼児教育の再考が必要なのである。

W. おわりに

 ここに4つのルートを掲げてみた。いずれも同じ山頂をめざす未踏のルートである。あるルートは他のルートと半ば重なり、離れたり交叉したりしている。大切なのはしっかり足下を見て確信をもってまずは歩み出すことである。それぞれのルート内にちりばめておいた筆者の道標を少しでも信じてみようと思われるのならぜひ仲間を集めてその先に進んでほしい。歩を共にするみなさんが踏み固めつつ前をめざすそのこと自体が、盲教育の泉を持つ盲学校を中核とする視覚障害児のための新たな日本型インクルーシブ教育システムを再構築する歩みそのものとなるのである。

(註1)長尾博, 「特別支援教育時代における盲教育は、誰がどこでするのか?〜ある地方盲学校教員のつぶやき〜」, 月刊「視覚障害」244号, 2008, 視覚障害者支援総合センター

(註2)長尾博, 「盲学校に聞く“インクルーシブ教育時代の歩き方”  第2回 盲学校の「センター的機能」を考える」, 月刊「視覚障害」339号, 2016, 視覚障害者支援総合センター

(註3)長尾博, 「視覚特別支援学校の子どもたちに対する『将来なりたい職業』全国調査から見えてきたもの」, 特別支援教育総合研究センター研究紀要10号, 2016, 宮城教育大学

(註4)第12回オンキヨー世界点字作文コンクール(国内の部/学生の部/特別賞), 「ありがとう」, http://www.jp.onkyo.com/rakuraku/tenji/2014/jp06.htm

(註5)中室牧子, 「学力の経済学」, 2015,ディスカヴァー・トゥエンティワン, 主に第3章




戻る