第4回 複数の支援学校を一箇所に集める拠点型総合特別支援教育エリアを考える〜地域校には持ち出せない教育が熟成する秋田県立視覚支援学校〜



宮城教育大学教授  長尾 博


秋田県立視覚支援学校校舎

1. はじめに

 今回は秋田に足を伸ばした。前回ご紹介した下関南総合支援学校のある山口県では、県内12校の特別支援学校一つひとつが5障害に対応する総合支援学校化を目指していたのに対して、ここ秋田県では、3つの支援学校と1つの子ども医療機関が一箇所に集まることで、県内一箇所(秋田市)に「エリアとしての総合支援化」を目指す取り組みが始まっているのである。JR秋田駅から車で15分、背もたれに坂道を感じつつしばらくすると現れるのが「あきた総合支援エリアかがやきの丘」。秋田県の特別支援教育と療育の拠点だ。このエリアには、秋田県立聴覚支援学校、秋田県立秋田きらり支援学校(肢体不自由支援と常時医療を必要とする子どもの支援)、そして、秋田県立視覚支援学校(平成28年度より秋田県立盲学校から改名)の3つの支援学校が平成22年に集積し、そこに秋田県立医療療育センターが併設されたのである。これら3校はいずれも県内唯一の聴覚支援学校であり、肢体不自由支援学校であり、視覚支援学校なのである。

 筆者は秋田県立視覚支援学校(五十嵐昌司校長、以下、秋田盲と記す)の玄関に案内されて気付いた。とても広い空間のようだ。聴覚支援学校、秋田きらり支援学校と共有する玄関ホールだという。学校間で共有するスペースは他にもある。体育館やプール、グラウンド、ランチルーム等々、事務室も一つだと言う。複数校間で協力して進める事業等を運用・開発するには事務室が一つと言うのはとても理にかなった仕組みである。訪問してわずか数分だが、さっそく拠点型複数支援学校の有機的結合のメリットに触れた思いだ。文化祭が間近なのだろう、劇衣装のまま歩く小学部の子どもたちと廊下ですれ違いながら、筆者は校長室まで案内を受けた。

2. 秋田盲が「かがやきの丘」に位置づく意義

 平成22年に秋田県立盲学校はこのエリアに移転した。そこで、この「あきた総合支援エリア・かがやきの丘」の意義、ならびに、現在この総合エリアに盲学校が位置づいている意義について、さっそく学校長に尋ねてみた。

 「本校と、聴覚支援学校、秋田きらり支援学校の施設設備や人的資源を有効活用し、効果的で効率的な学校運営と教育活動の充実を図っています。」と学校長。具体的には次のようなこのエリアに集まるメリットがあると言う。

 @3校の幼児・児童・生徒相互交流として、3校生徒会合同のあいさつ運動(年数回)、準ずる教育課程同士で教科の合同学習などが実現している。

 A3校間の教職員連携としては、地域支援での連携(必要に応じて聴覚支援学校と帯同して幼・小・中を訪問等)、3校と連携する外部専門家(OT・PT・ORT等)の相互活用、他校合同研修による教科指導の充実、互いの職員研修への相互乗り入れが実現している。

 B学校公開行事・ボランティア養成講座(今年度は23名参加)・かがやきの丘祭り等を3校で共同開催している。

 C隣接する秋田県立医療療育センターの眼科と連携し、医療療育センターの眼科を受診した幼児の中で、弱視児の子育て相談等、本校幼稚部での支援の必要性が考えられるケースの紹介を受けている。

 以上の中でも、画期的な取り組みと思われるのは次の2点である。まず、3校間で実施されている児童・生徒間の共同実践交流だ。秋田盲の中学部・普通科と秋田きらり支援学校の中学部で音楽科の授業(年1回)、秋田盲の普通科と秋田きらり支援学校高等部で英語科の授業(ALTとの交流/年3回)、秋田盲の普通科と聴覚支援学校高等部普通科で保健体育科の授業(サウンドテーブルテニス)、秋田盲の小学部1・4年と秋田きらり支援学校小学部1〜3年で、特別活動の授業(学習発表会)等が今年度もすでに実現されていた。次に、3校は教員間の研修活動も定期的に実施しているのだ。「授業を語る会」と銘打ち、主要5教科の指導法を切磋琢磨する機会を設けているのである。ほぼ各県1校である地方盲学校教員において、準ずる教育課程をもつ他の支援校の教員と実践を語る機会はとても少ない。各地方ブロック単位で集まる盲学校教育研究会くらいである。秋田盲ではそれに加えて、準ずる教育を実践交流できる場が同じ敷地内に普段から存在するのである。授業づくりを考える上で大きなメリットとなるであろう。

3. 全国に先駆け「生活情報科」を新設

 この総合支援エリアに移転した平成22年度、秋田盲は長年課題となっていた幼稚部と高等部専攻科保健理療科の設置を実現させるとともに、それにとどまらず、全国ではじめて中途視覚障害者のための学科を専攻科に新設したのである。それが「生活情報科」だ。新設に至る経緯を学校長は次のように語った。

 「一般に、視覚に障害のある方がADLや歩行、情報処理等の技能を身につけるためには、多くの時間と専門的な支援が必要であると思われます。しかし、秋田県では、眼科医等の専門機関での治療後に視覚障害リハビリテーションを実施している例はありませんでした。そのため県外のリハビリ施設等(近隣では、「日本盲導犬協会仙台訓練センター」や「函館視力障害センター」)を利用しなければならない実状がありました。
また、中途視覚障害者の方からの相談内容としては、見え方の理解、視機能訓練や歩行訓練、調理、パソコン操作、点字の読み書き、視覚支援機器等の使い方などがあげられてきており、生活の不自由さや不便さの解消を求めている方が多くおられました。理療科での資格取得までは今は必要はないが、生活技術の習得・向上を求めている場合も少なくありませんでした。そこで、本校にある人材と情報を最大限に活用した支援に取り組むことで、このような視覚に障害のある方のQOLの向上を図り、積極的な社会参加を支援する目的で「専攻科生活情報科」(修業年限1年)が新設され、今年で7年目を迎えました。」

 主な学習内容は、日常生活動作に関する学習、移動・歩行に関する学習、情報・コミュニケーションに関する学習、社会参加・余暇等に関する学習、その他で構成されている。すなわち、一人ひとりのニーズに応じてカリキュラムは柔軟に編成され、広い意味で、これから切り拓きたい夢に向けての個別準備学習としての1年を組み立てることができるコースとなるのである。また、本コース卒業後も、秋田盲との関係を切ることなく支援機器などの情報のフォローアップを受けられるよう、「アイサポート教室」が開かれている。
 生活情報科を3年前に修了されたSさん(53歳、現在、専攻科保健理療科2年)に、全国でも珍しいこのコースについてお話をうかがうことができた。Sさんは長年JR東日本に勤務されていたのだが、40代ごろより発症した糖尿病により視力が低下、今の見え方は左に光覚が残るだけと言う。仕事をやめてからは約1年半も自宅に閉じこもっていたSさん。「自分は酒は飲まないので、酒にも逃げることができず、ただ部屋の中を1日ぐるぐると歩いていました。」と当時の気持ちを語ってくれた。「誰かに何でもいいから助けてほしいという気持ちであちこちに電話しました。病院の先生、保健所…、最後にたどり着いたのがここでした。」こうして初めて治療師という職があることを知り目指すべき目標ができたと言う。さっそく専攻科への入学を希望したが自分には今勉強する方法がないことに気付く。拡大読書器は使えない、これまで使ってきたパソコンも今は使えない。そこで、この生活情報科への入学を決意したSさん。白杖歩行、点字学習、音声支援によるパソコン操作、デイジー機器操作、ミシンや料理など生活動作訓練、そして希望しての陶芸などの授業が始まったのである。本当はストレートに理療科の勉強に入りたかったSさんだが、生活情報科での学びを振り返ってこう言われた。「一刻も早く資格を取りたかったんですけど、なんせ当時は勉強するすべがないので生活情報科の1年は結果的にはよかったと思います。仲間もできましたし、理療科の様子も知ることができました。いきなりだったら留年もあり得たと思います。

 多くの地方県では、中途視覚障害者のためのリハビリ専門機関は県内にはない。地方県には新たに視覚リハ機関を新設する可能性もない。そこで従来からある視覚障害教育機関がその人材と設備を活かして視覚リハ機能を備えたのが秋田盲である。本欄でしばしば話題となる盲学校の生徒減の問題だが、秋田盲における過去20年の在籍者数の推移を見ると、平成22年度の幼稚部の設置と生活情報科という新コースの誕生は生徒減をくい止める効果を現在のところもたらしていると言える。

表 過去20年の在籍者数の推移



4. 秋田盲の実践に見た地域校には持ち出せない盲教育の専門性

 秋田盲のホームページを見ていて気付いた。寄宿舎の紹介ページにお料理レシピまで掲載されている。もちろん見えなくても安全にできるレシピ集である。秋田盲の寄宿舎は生活指導がかなり充実していると感じた。そこで、次に教頭先生とともに寄宿舎を訪問させていただいた。

 寄宿舎は聴覚支援学校と同じ建物を使用していた。玄関を境に左半分が視覚支援学校の寄宿舎となっていた。

 内部を案内していただいた。設備面では一般的な印象だ。だが、舎務室にあったファイル類に驚かされた。生活技術全般にわたっての生活支援マニュアルが写真付きで何冊も並んでいたのだ。しかも各利用者向けの個別カルテもあると言う。洗面・洗濯・掃除・調理・衣類管理等、このまま本として出版できそうな視覚障害者のための日常生活術の集大成本に近い。例えば、その一部「洗濯に関する資料編」の章立てはこうだ。「洗濯機の容量」「洗剤の種類」「干し方のコツ」「収納の工夫」「便利機能付き洗濯乾燥機」などと続く。

 実は、寄宿舎における生活指導については筆者には苦い思いがある。盲学校勤務時代、舎監を何度となく命じられた。そのつど、寄宿舎指導員の方々とは舎生の生活技術の指導法について熱い議論を闘わせたものだった。週末帰省練習では指導員とともにこっそり生徒の後を見守りついて行った。重複児の歯磨き時に口の中に直接磨き剤をチューブから絞り出すのは人権の観点からどうなのか?等々、これらの議論は楽しい思い出である。ただ、県教委の姿勢が硬直化したのか「寄宿舎は教育の場ではない。あくまで学校に通えない者のための通学保障の場にすぎない。」と言い切る学校長の赴任が続くようになる。そんな中、あんなに熱く自分たちの仕事を語っていた指導員たちもそのうち「お世話係」に徹するかのように、手取足取りの指導をしなくなっていったのだ。見えなくても工夫しつつ生活していく技を丁寧にかつ長期にわたって段階的に指導してきたのが盲学校の寄宿舎のはずだった。それがここ秋田盲の寄宿舎には今も消えることなくしっかり熟成され続けていたのだ。胸が熱くなった。「盲学校の専門性とは何か」との議論は未だに関心高い関係者の話題の一つのようだが、盲学校が持つこの寄宿舎の機能こそ専門性なのだ。なぜなら、インクルーシブ教育の名の下、全国の盲学校は地域校に学ぶ視覚障害児のところに「支援」という名の鞄を手にはせ参じているだろうが、この寄宿舎が担ってきた生活技術の指導の機能を地域校には持ち出せないのだ。地域校には持ち出せない、盲学校でないと熟成できないそんな「視覚障害の子どもたちに身につけてほしい力のための指導」こそが盲学校の専門性なのである。

5. おわりに

 秋田盲の訪問から3週間たった秋のある日、仙台市にて東北地方の盲学校7校が集まる大規模な研究会が開かれた。東北盲学校教育研究大会である。なんと回を重ねること今年で第69回と言う。筆者も参加した。そして見つけた。秋田盲の体育科I先生の「全盲児の投球動作獲得のための指導実践」である。全盲児にオーバースローの動作を腕の振りから腰の回転、足の踏み出しと体重移動などを身体の一連の動作としてどのようにまとめあげさせるか。これは盲学校における体育指導の長年のテーマと言える。I先生はこのテーマに果敢にチャレンジされていた。ロープをボールを投げ放つ方向に張り、そのロープに通した筒をボールに見立てて斜めに放り出す教材を工夫していた。鉄線走の筒を斜めに投げ出すイメージだ。実践を聴いていて感じた。「これも地域校に持ち出せない指導であった」と。

 地域に学ぶ子どもたちが体育への参加を見学にせざるを得ない実情をよく耳にする。誰かが教材を工夫し長期的・系統的に指導を繰り返さない限りきれいな投球動作は全盲児には身につかないだろう。地域校に学ぶことを選んだのだから、わが子にそこまでは求めないという親に尋ねてみたい。「衣類のたたみ方や管理法・掃除の仕方・調理などの生活の技やボール投げ・腰の引けない走り方・スポーツの喜び、そして何よりも視覚障害者としてどう生きるかというキャリア教育等々、これら地域校には持ち出せない教育を犠牲にしてまでも地域校には視覚障害を持つあなたのお子さんの発達を保障する何かがあるのだろうか」と。「いえいえ地域校にはこの子の社会性を育てる集団があります」という答えが昔も今も戻ってくるのだろう。インクルーシブ教育時代の盲学校の歩き方を考える上で、そう言えば、これもまた長年繰り返された一問一答だったなと苦笑いする秋の1日となったのであった。

 
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