第2回 盲学校の「センター的機能」を考える 〜地域に打って出る福井県立盲学校〜


宮城教育大学教授  長尾 博



福井盲学校校舎の画像


1. はじめに



 今回は盲学校におけるいわゆる「センター的機能」について考える。その中で、盲学校が果たしてきた、いや今では果たさなければならなくなっているセンター的機能(役割)がインクルーシブ教育時代における盲学校のこれからの歩き方にとってどのように位置づけられるべきなのかについてまで筆を進めたい。そうして、それは乱暴な論の立て方と叱られるかもしれないが、このセンター的機能といわれている仕事は、引き続きこれからも盲学校がすべき仕事なのか、斜陽の盲学校を再び輝かせるための契機をこのまま続けるこの役割の中に私たちは見つけることができるのか? あえて誰もが踏み込まなかったこの問いかけを今回の筆者の問題意識に加えさせてほしい。

 筆者が今回向かったのはJR福井駅からタクシーで10分ほどに位置する福井県立盲学校(林厚子学校長)であった。今回、さきの問題意識をかかえて福井盲を訪問した理由は次の点にある。この福井盲は「センター的機能」に関して長年充実した取り組みを重ねている盲学校だからである。2003年に国立特殊教育総合研究所が『盲学校における「センター的機能」の先導的実践の試みと課題』をまとめるにあたって意見を求められた全国8盲学校のうちの一校に選ばれているのである。また、ここ2年連続で、200人を超える地域の人々を集める「盲学校体験会」の成功やNHKラジオ第2「視覚障害ナビ・ラジオ」でも取り上げられた2016年1月の「羽二重ネット(福井県視覚障がい者支援ネットワーク)」の設立など、まさに地域に打って出る盲学校として福井盲はいま日本でも最も熱い盲学校の一つだからである。

2. 法的に位置づけられたいわゆる「盲学校におけるセンター的機能」とは



 1999年、文科省は「盲学校、聾学校及び養護学校学習指導要領」において、「地域の実態や家庭の要請等により、障害のある児童若しくは生徒又はその保護者に対して教育相談を行うなど、各学校の教師の専門性や施設・設備を生かした地域における特殊教育に関するセンターとしての役割を果たすように努めること」と盲学校におけるいわゆる「センター的機能」について初めて明示した。また、特殊教育に関する相談のセンターとしての具体的役割としては、@児童生徒に対する障害に基づく種々の困難の改善・克服を図るための支援、A障害のある子供の養育に関する保護者への支援、B特殊教育に対する理解促進などが挙げられると文科省は解説を行った。実は、地域に学ぶ視覚障害児(生)の学習支援や保護者支援、就学前の視覚障害乳幼児相談などについては、1970年代後半には各地で盲学校が幼稚部の設置や教育相談を通して取り組みを強めていたのであり、この学習指導要領の改訂は筆者のような盲学校関係者にとっては「今更」と言う感があった。そして、このセンター的機能については、現行(2009年)の「特別支援学校幼稚部教育要領」および小学部から高等部にかけての「学習指導要領」においても、現在も明示され続けているのである。この間、国は学校教育法を改正(2007年)し、特別支援学校においては、幼稚園、小学校、中学校、高等学校又は中等教育学校の要請に応じて、教育上特別の支援を必要とする児童、生徒又は幼児の教育に関し必要な助言又は援助を行わなければならないとし(71条の3)、同時に出された「特別支援教育の推進について(2007年4月通知)では、盲学校を含む特別支援学校の具体的なセンター的機能として、@幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び中等教育学校の要請に応じて、発達障害を含む障害のある幼児児童生徒のための個別の指導計画の作成や個別の教育支援計画の策定などへの援助を含め、その支援に努めること。Aまた、これらの機関のみならず、保育所をはじめとする保育施設などの他の機関等に対しても、同様に助言又は援助に努めること。B特別支援学校において指名された特別支援教育コーディネーターは、関係機関や保護者、地域の幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校及び他の特別支援学校並びに保育所等との連絡調整を行うこと等を挙げたのである。すなわち、盲学校においては、当初、地域で学ぶ視覚障害児のために自発的に実施してきた学習支援や就学前乳幼児療育相談といった地域支援活動が、1999年、国により「センター的機能」と言う名の盲学校の仕事とされ、2007年、この仕事は地域からの要請があれば果たさなければならない仕事として法的に位置づけられたのである。

3. 全県に責任をもつため「サテライト教室」設置にまで発展した福井盲におけるセンター的機能



 それでは、福井盲における「センター的機能」の中身について少し具体的に見てみよう。教育相談部のA先生からはセンター的機能の中心的柱となる事業、すなわち、現在、福井盲には在籍していない子ども達や保護者、その関係者等への地域支援活動について説明をいただいた。
 福井盲では、校内組織として2002年に教育相談業務が校務分掌として独立し、乳幼児から学齢児(生)、特別支援学校在籍者に至るまで県内全域に対応した支援が本格化した。福井県は弱視学級を設置していないのも特徴である。また、今年度、地域支援対象者は、乳幼児3名、小学生6名、中学生2名、高校生1名、特別支援学校在籍3名となっている。

(1)スクーリング活動の充実

 巡回相談と来校相談を組み合わせて行う福井盲の相談活動の内、来校相談においては、個別の相談と小集団での活動を提供するスクーリング、加えて就学を目前に控えた盲学校1日体験入学等対象と目的に応じて様々な形を提供している。中でもスクーリングは、視覚障害児同士の交流と情報交換の場、また、保護者の研修の場を提供することを目的とし、相談児とその保護者、および兄弟姉妹の参加を呼びかけている。また、2007年度より土曜スクールを開催し、小学生の相談児を対象とし、日頃の授業の中で実力を発揮しにくい実験や調理等の実習的な活動や視覚障害補助具の活用訓練などを行ってきている。2009年には、乳幼児の相談件数の増加に伴い、夏季休業中に乳幼児を対象としたサマースクールを実施することとなった。いずれも、対象の相談児とその兄弟姉妹一人一人に支援者がつくように体制を取っている。

(2)サテライト教室の設置

 相談支援の拡大に伴い、嶺南地区(福井県南部の若狭湾沿岸の地域)での相談も上がってくる中で、2007年には、嶺南地区2カ所(敦賀市・小浜市)にサテライト教室を設置した。それぞれ月一回開催することとした。嶺南地区で拠点を設けることにより、遠隔なために来校困難な幼児へも対応できるようになった。これにより関係機関との連携も深まり、サテライト教室を拠点として嶺南地区の特別支援学校や嶺南教育事務所、保健機関等関係機関との連携を図りながら嶺南地区での相談活動も充実してきた。


表1 福井盲における過去10年の教育相談件数の推移


表2 過去20年の福井盲における在籍者数の推移

(3)福井県の中の特別支援学校としてのセンター的機能

 2007年の学校教育方改正をきっかけに、福井県では発達障害児支援推進事業により県下の盲学校を含む特別支援学校11校が地区割りされ、分担された地域でのセンター的機能の役割を担うようになった。本校は、これにより従来からの県全体における広域の視覚障害に対応した相談支援のみならず、特別支援学校として発達障害も含む全障害に対応するセンター的機能を担うこととなった。こうして、総相談件数は2008年にはのべ1300件にものぼり、相談件数の増加に対応するためにいっそう校内体制強化を行い、教育相談部からの相談専任教員を配置するようにした(現在では、福井市に保育カウンセラーが導入されたおかげで、この分野での福井盲の担当範囲は減ってきてはいる)。

(4)現状をどのようにとらえているか(A先生の分析から)

 相談支援の拡充に伴い、各関係機関との連携も進んできた。小学校からは、発達障害児(生)における見え方に困難を生じる子どもの相談や遠視や斜視、また、両眼視機能の難しさや輻輳機能不良のある子どもの相談などが多い。また、特別支援学校からは、重複障害児に対する見え方の相談や視力検査の依頼が増えてきている。正確な視力を測定することが難しい知的障害児や重複障害児、発達障害児に対して、盲学校が視覚障害教育の専門機関として培ってきた視力検査やその他の視機能についての見たてを行い、学校や教員に対して、或いは保護者に対して、「見る」ことに困難さを抱えている子どもの支援に役立つ情報を提供している。

4. このまま従来型センター的機能を果たし続ける意味をあえていま盲学校に問い直す



 筆者は本連載第1回(2016年6月号)にて、「盲学校にあると信じられている専門性はどこにあるのか。それは教師にあるのか、それとも学校にあるのか」を問いかけた。そして、鳥取県を例にしつつだが、「県が求めている盲学校の専門性への期待の正体とは、盲学校という学校にではなく、校外における視覚障害教育支援の担い手としての教師の確保にすぎない」ことを指摘した。福井県においても同様、いやそれ以上であり、福井盲の地域支援担当者は分担地域の視覚障害ではない発達障害等の障害児支援にまで借りだされているのである。筆者はこのように教師自身がもつ視覚障害教育を中心とした特別支援教育の専門性を地域の保育園や学校(以下、地域校園と言う)に提供・注入する仕事は盲学校の教員がするセンター的機能に位置づける必要はないと考える。この仕事は都道府県や政令市がもつ特別支援教育に関する総合的な教育センターと言われるような機関に一本化すべきである。「地域校園の支援を続けてきて、視覚障害教育のノウハウはその学校や保育園・幼稚園に根付いたと思いますか。また根付くとおもいますか。」の筆者の質問にさきのA先生は「根付くとは思えません」と即答された。同感である。盲学校から持ち出す視覚障害教育のノウハウは地域校園に蓄積されることなく毎年毎年初心者研修レベルの内容を繰り返しているのである。蓄積されていかないのが空しいからやめようと言うのではない。その程度の繰り返ししかできない地域校園に通うことを中核としているのがわが国のインクルーシブ教育なのであり、盲学校の教師が在籍児(生)の授業を減らしてまで取り組むべきことではないからである。インクルーシブ教育システムが急ピッチで各地に設置したのが地域支援をそれこそ中心に据えた特別支援教育センターではなかったのか。そこが「視覚障害教育支援の専門の方は本センターにはおられません。盲学校の先生に巡回指導を頼んでください」と言い続けるインクルーシブ教育とは何を目指しているのだろうか。換言すればこうなる。盲学校はインクルーシブ教育の御用聞きとなって安上がりの地域支援を続けてきたのである。仕事の名も「センター‘的’機能」である。‘センター的’などとお茶を濁すのではなく地域の特別支援教育センターといった機関が正面から担う「センター機能」として、福井盲がこれまでやってきたような地域支援を発展させるべきなのである。これまでの盲学校の地域支援が無意味と言っているのではない。その場その時期において地域に学ぶ子ども達を支援した実績を否定しない。その仕事であればあえて盲学校ではなく、他障害ニーズと同様に地域にある特別支援教育センターがすべきであると言っているのである。視覚障害教育のノウハウの蓄積を産むことなく20年近くを「センター的機能」と言う名のもとに漫然と繰り返し、それがあたかもわが国のインクルーシブ教育の充実・発展につながると言う期待ももはや幻想であることを暴露している日本型インクルーシブ教育システムに、盲学校の専門性ある教師をこれ以上消耗させ続ける権利はないのである。仮にもわが国がインクルーシブ教育を標榜するのなら、「地域校を選ぶなら魅力は子ども集団、盲学校を選ぶなら魅力は少人数による専門教育」と耳にたこができた二者択一をなぜいまだに保護者に説明して就学関係者は恥じないのだろう。「教育の場が選択できる=これこそ日本型特別支援教育の魅力です。」かのような論をよく耳にするが、「子ども集団を取るか、それとも専門教育を取るか」と迫ることを「選択の自由」にすり替えてよいのだろうか。地域校園においても自由に専門的教育を享受し子ども集団の教育力に身を安心して任せられるような学校教育のシステムがなぜどこからも提案されないのだろう。盲学校は、日本型インクルーシブ教育の破綻にこのように荷担するのではなく、そのセンター的機能を視覚障害教育の発展の軸の上で見直すべきと考える。
 センター的機能としての地域校園支援を盲学校がしなくてもよいと言うもう一つの理由がある。それは、地域校園において、いまだに特別支援教育を一段下のものとして扱う風潮が見られていると言わざるを得ないからである。次の2つの発言を読んでほしい。「齋藤委員(第5回):それと、これが一番悲しい現実ですが、40人学級で学級運営が困難な先生を、校長先生のほうで(特別支援学級に)配置をする傾向があると思っています」「品川委員(第12回):それと、これはどうしてもお願いしたいことなのですが、現状、多くの自治体で通常学級の担任ができないから支援学級の教師にすると言うようなことが行われていますが、これは早急にやめていただきたいと思います」(括弧内は筆者が補充)。

 これらはどこで飛び出した発言か。なんと文科省の中教審答申をまとめていた「特別支援教育の在り方に関する特別委員会」の中である。その議事録にしっかり残された発言なのである。専門性ある担任の指導が当然受けられると信じて入学した弱視学級において、担当は視覚障害教育を指先も学んだことのない教師どころか臨時講師が一時的に当てられるケースもあるのである。障害者差別解消法下、保護者から訴えられてもしかたない現実が続いている。これが日本型インクルーシブ教育の現状である以上、盲学校は従来通りのセンター的機能をこれからも続けていく意味がどこにあるのか各地域ごとに問い直してほしいものである。盲学校はこのように貧弱なインクルーシブ教育システムに巻き込まれつつ、「廃校にだけはしないでください。本校の生徒減の分だけそれに見合うセンター的機能を地域にて果たしているのですから」と言い続けるのはもうやめようではないか。そして、「廃校してしまえば、視覚障害の教育と文化は消えてしまいます」と表明したいのなら、専門性をこのまま薄めていくだけの従来型センター的機能にこれ以上付き合う必要はない。盲学校がこれからも視覚障害教育の専門機関だと言うのであれば、その専門機関としての実力を磨き、生かす仕事こそが本職である。そこに100年を超える盲学校教育の誇りを感じて仕事をすべきである。それでは、いま考えられる視覚障害教育をさらに磨きその実力が生かせるセンター的機能とは何か、筆者はここに、提案する。

(1)どうしても地域校園支援を盲学校が従来通りすると言うのなら、地域校にある弱視学級を盲学校の学級としてカウ
ントするシステムを目指すべきである。また、地域校の通常学級在籍児(生)の場合であればその学校との兼務辞令の下、該当児(生)への直接指導・評価が地域校園にてできるシステムを目指すべきである。
(2)学校教育方は地域校園からの「要請に応じて、教育上特別の支援を必要とする児童、生徒又は幼児の教育に関し必要な助言又は援助を行わなければならない」とある。しかし、地域校園への支援を特別支援教育センターが行うようにするのだから、この「要請」は当然盲学校にではなく、その地域の特別支援教育センターに向かう。よって、「必要な助言又は援助」を盲学校側から御用聞きのようにしなくてもよいのである。それでは、地域に学ぶ子どもたちを放っておくのか。そうではない。盲学校のノウハウがつまった授業(教科教育、重複教育、職業教育、障害受容教育等)、視覚障害者としてどう生きるかを踏まえた人づくり教育、見えなくても汗をかく喜びがわかるスポーツ教室、見えなくても楽しめる余暇教室等、盲学校の魅力に関心をもつ子ども達を集めての授業体験や学校公開等にもっと打って出ればよいのである。これこそ盲学校の実力を磨き、それを生かしたセンター的機能である。
(3)盲学校は視覚障害をもつ人たちの文化の中心地であるとしての自覚を高めることである。同窓会はもとより視覚障害関係者と手を取り合って、視覚障害理解の啓蒙に止まることなく、その専門性および文化の担い手を作り出すことも大きなセンター的機能となっている。

5. おわりに 〜地域に打って出る福井盲〜



 今年で第3回目となる福井盲の「盲学校体験会」は「アイマスクをして飲食してみよう」とか「見えなくても楽しい理科実験教室」等ユニークかつマンネリとはならない工夫が重ねられてきた。なによりこれまでお客側であった福井盲の保護者の方が今年はナビゲートする側に立つと言う。盲学校と視覚障害者の文化を県民に強く知ってほしいと言う熱いものが確実に福井盲全体に流れているのである。この熱は今度は福井県全体を包んだ。「羽二重ネットがそれである。仕掛け人はやはり福井盲であった。羽二重ネットとは、県内の視覚障害に関わる関係者(眼科医、福祉行政、福祉協会、盲学校、光道園、メガネ店等)が一堂に会し、それぞれの専門性を生かしたサービスをニーズに応じて紹介・コーディネートしていくネットワークである。これらの社会資源の横のつながりを構築し、視覚障害者が、容易に視覚障害を支援するサービスにアクセスできる環境(スマートサイト)が構築されたのである。福井盲は盲学校の専門性と言う実力を磨き、それを生かすセンター的機能に一部目覚め、地域に打って出る盲学校として新たなインクルーシブ教育時代をすでに歩き始めていたのであった。

[参考サイト]

福井県立盲学校
 http://www.fukuipref-sb.ed.jp/

「盲学校における『センター的機能』の先導的実践の試みと課題 」/国立特殊教育総合研究所(2003年)
 https://www.nise.go.jp/kenshuka/josa/kankobutsu/pub_c/c-49/c-49_02.pdf

特別支援教育の在り方に関する特別委員会(議事要旨・議事録・配付資料:文部科学省)
 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/044/giji_list/index.htm


 
注)表の読み上げに対応したワードファイル ダウンロード

戻る