第14回 山形の巻 その2  羽州の名城「上山城」を誇る上山市は案山子も足湯につかる(?)街だった…! 〜JRかみのやま温泉駅周辺〜

 ‘陸奥をふたわけざまに聳えたまふ、蔵王の山の雲の中に立つ’。斎藤茂吉の故郷、ここ上山(かみのやま)はまさにわが宮城と背中合わせの街である。JR仙山線で奥羽本線を山形から3駅、秋晴れの9月末、JRかみのやま温泉駅周辺を歩いてみた。

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JRかみのやま温泉駅、山形新幹線も乗り入れるこの駅。もしや3線軌道かなと思いきや、奥羽本線は福島・新庄間は標準軌であった。




 ここ秋の上山(かみのやま)は蔵王山のふもと、もちろん雪国である。青森でも見た雪国のシンボル、縦信号と歩道に突き出た消火栓をさっそく発見!

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駅前通りにみつけたライトが縦に並ぶ信号機とちょっとおしゃれな消火栓、杖で高さをチェック。



 さて、秋の上山といえば案山子。秋分の日にかけて毎年開かれる「かかし祭」は有名。今年でなんと44回とポスターにある。駅1番線では山形の観光キャラクター「きてけろくん」の案山子3体がお出迎え。

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第44回全国かかし祭のポスター。今年のテーマは「家族」らしい



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きてけろくんとムツボシくんのツーショット。失礼、ちょっとブドウひとつちょうだいな…




 さすが案山子の街である。マンホールのふたにも、へのへのもへじの案山子が描かれていた。土地土地でマンホールのふたはけっこう観光客を迎える顔となっている。ご当地マンホール・ふた写真集なんて本がまもなく発売されるかも…。

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へのへのもへじの顔のマンホール、しっかり「KAMINOYAMA」と刻印がある。




 道を歩いて路上に見つけたのはこのマンホールだけではない。温泉マークとともに「温泉バルブ」と刻印された消火栓のふたのようなものを発見! 尋ねてみてわかった。市内5か所の足湯場に引かれている温泉を閉めるバルブであった。源泉は62度。これでは熱くて入れない。水で埋めるのも費用がかかる。そこで、バルブで流れを細くしてちょうど42度くらいに冷めて足湯場にお湯がたまるしくみになっているようである。
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「温泉バルブ」と書かれた路上のふた、これを見つけたら足湯場が近くにあるかも…



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極楽極楽、饅頭くわえて足湯で一服。杖も入浴、3本足のムツボシくん足湯中。銘菓「中條饅頭」は漉し餡に黄な粉風味の薄皮だった…




 また、ここ上山はそばの街でもある。街にはそば打ち六奉行とよばれる方々がおられるという。その中の一軒が「みつひろ(味津肥盧)」である。名物五段の割子そばをいただいた。一段ごとに薬味を変えてツールツル、イカ入り納豆やなめこおろしなどどの味も満足であった。

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「みつひろ」の五段割子そば、天ぷらもついて1600円。1.5人前のボリュームである。




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こちらがそば処「みつひろ」。腹ごしらえの後は歴史探索にゴー!




 ここで今回の旅をサポートしてくださった観光ガイドのSさんを紹介しよう。Sさん
はなんと御年80歳、かくしゃくたるものである。博覧強記のその知識量はもとより、なにより名口調の語り口、気づけば小一時間もSさん節にどっぷりつかってしまっていたのであった。


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上山城郷土歴史資料館でSさん節に耳鼓




 この資料館は昭和57年に再建された模擬天守閣内にある。点字の資料とここ上山城の歴代藩主の手で触れる家紋図(立体コピー図)がちゃんと準備されていたのもうれしいかぎりであった。ただ、点字のパンフレットに、残念ながら点字の誤字・表記法のミスが散見されたのは惜しい。


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模擬天守閣の外観、パンフレットの一部は点字でも読める



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明治まで続いた藤井松平家の家紋「埋み酢漿紋(うずみかたばみもん)」の図柄が触れてわかる図にしてあった。




 続いて、これまた名調子にて資料館を案内してもらった。まずは上山市の形を把握、壁にこのような浮き出し地図が掲示されている。なんと蔵王山の山頂はこちら上山市であった。

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左手が郷土歴史資料館の現在地、右手が宮城県白石市あたりだろうか。




 まずは4階展望台へ。四方が東西南北の方角と一致、もちろん街並みが一望…。西の山麓斜面に見えるらしいビニールハウスはブドウ栽培とのことだった。

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斜面に集中する果樹栽培、すでにビニールが外されているところがさくらんぼの栽培地とか…



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杖でさぐると天守閣の屋根の先端にある家紋瓦が確認できる。




 では、3階→2階と案内いただいた中から私の手と指を楽しませてくれた展示品のいくつかを紹介しよう。

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死者を供養する板碑。1473年のこれは村の共同出費でつくられたもの。死者を出した家の前
の往来に立てるという珍しい風習である。



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羽州街道の分岐点にあった追分石、「右ハ高湯、左ハ上山」と読める



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そばと合わせて有名な特産品に干し柿がある。こちらは手回し柿の皮むき器




 また、上山と縁のある有名人の一人があの沢庵和尚だ。彼が紫衣事件で流されていたのがここ上山だった。罪人扱いの沢庵に当時の藩主・土岐頼行(ときよりゆき)は春雨庵を与え、教えを乞うたのであった。

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土岐頼行が沢庵に教えを乞う場面をレリーフにした壁があったので、ちょっと椅子を拝借して探索…



 もう一人、郷土の偉人に大正期に活躍した関脇・出羽ケ嶽文治郎がいる。彼の等身大の立像があった。明治生まれにして2メートル4センチ、180キロだったという。茂吉同様医師を目指して上京していたが180度の進路変更で角界に入ったという。

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とにかくでかい、末端部はすごい。ムツボシくんの手は出羽ケ嶽の掌内でおさまっちゃった!




 最後に、宮城県白石市の旅と同様、こちら上山の武家屋敷を訪ねてみた。茅葺き屋根の中級武家屋敷が4軒、軒を並べている。旧曽我部家をのぞかせてもらった。自在鉤の囲炉裏、刀や槍をかけられる壁、釣瓶の井戸など触れるものも多い。三輪家も有料だが見学できる。

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庭には築池もあったという。旧曽我部家の正面




 ガイドのSさんとも別れ、後はまっすぐ駅までの道に戻るだけの夕暮れ近くの秋の上山…。金木犀にかすかな硫黄の香りをただよわせる温泉街を尻目に、がら空きの仙台ゆき仙山線快速の車中、『眠れないほど面白い今昔物語』を耳になぜか寝てしまっていた旅であった。

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黒壁の武家屋敷が並ぶ小路を一人歩くムツボシくん




●参考サイト:かみのやま温泉・山形県上山市観光物産協会
http://kaminoyama-spa.com/



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