第15回 北海道の巻 その3  一つの都市の発達とその変貌が、見えなくても名解説でここまでわかる! 〜小樽・博物館巡り〜


 この日、訪れた小樽は車軸を流すような大雨。でも、大丈夫!小樽には見えない私たちを楽しませてくれる博物館がいくつもあるのだ。

 まずはこちら…、小樽総合博物館へ。ここのテーマは、小樽市の歴史と自然、北海道の交通史などのようだ。施設は本館(旧小樽交通記念館 小樽市手宮1丁目) と運河館(旧小樽市博物館 小樽市色内2丁目)の2つに分かれているから注意したい。JR小樽駅を降りてタクシーで向かうときは、「小樽総合博物館へお願いします」というのではなく、「本館の小樽交通記念館」か、「別館の運河館」をはっきり運転士さんに伝えよう。

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「総合博物館」とだけ伝えたので、こちらの本館に連れて行かれました。旧小樽交通記念館。蒸気機関車に乗れたりもする。今回は大雨なので見送り



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小樽市総合博物館別館となる「運河館」。ただいま屋根の工事中…




 今回は運河館をじっくり見せていただいた。まず迎えてくれるのがこの大きな大きなのっぽの古時計である。小樽はじめての百貨店「大黒屋」にあったもの。あの歌のように百年前からいまも動いている時計だ。こちらの施設を案内してくださるのは学芸員のIさん、解説を聞いていてすぐに気づく。Iさんは名解説者である。こちらの質問に対して、本当にかゆいところに手がとどく、ピンポイントの説明がIさんからは返ってくるのだ。


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今も動くのっぽの古時計、振り子も、針もすべて触れる。これからのIさんの解説も楽しみだ。




 小樽は江戸時代から北前船の基地であった。こちらから本州各地にニシンカスが運ばれたという。北前船の就航路が触って解る地図があった。

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北前船の航路が銅線の浮き上がりでわかる日本地図

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これが北前船の帆、帆の大きさは、この横幅80センチほどの布が28枚分、高さは8メートル以上だったらしい。



 小樽から出荷されたニシンカスとは、大量にとれたニシンをゆであげ、それを押さえてしぼったもののことである。押さえてニシンから出る油は灯油代わりに使われたという。しぼりカスとなったニシンは干鰯のように肥料として各地に売られたのである。特に、岡山の綿栽培や徳島の藍栽培ではこのニシンカスは欠かせない肥料だったという。


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これがニシンをしぼる木枠、四方の木の隙間から油が出てくる。



 ニシン漁の様子も触ってわかるように工夫されていた。海岸線に沿ってやってくるニシンの群れを遮断するように建網をしかける。網にぶつかるニシンは沖へと進路を変える。それを囲むように船を配置し別の網ですくい上げていくのである。このとき漁師たちが「ニシン来たかとかもめに聞けば…」とソーラン節を口にするのだ。


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ニシンを追い込む「建網」の仕組み、こうやって網を引いて向い側の船の中にニシンを入れていく。



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ニシンを掬い上げる「たも網」、巨大な昆虫採集網みたいだ。柄の細かなザラザラは当時のニシンの鱗であった。


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浜からニシンを担いで運ぶ「もっこ」、木製のランドセルの形だ。30キロのニシンが入るという。しゃがんで斜めに傾けるだけで中のニシンがすべり出るように工夫されている。




 明治13年、小樽に鉄道が敷設される。幌内鉄道である。石炭や木材が集まる港として小樽は発達する。集まる労働者、本州から入荷する食糧や生活材を蓄える倉庫がこうして海岸線に建ち並ぶ光景が生まれてくるのである。最盛期、北海道に入る荷物の42%、北海道から出て行く荷物の49%が小樽を通ったという。倉庫の貸し賃の史料があった。Iさんが読み上げてくれた。ニシンカスを半月預かる倉庫代は1俵3銭5厘だそうだ。そして、明治30年代、すでに小樽には電信・電報があったという。


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ここ運河館も当時の倉庫である。屋根の上に飾られていた鯱(しゃちほこ)、それにしても倉庫の屋根に鯱とはおもしろい。


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当時の大店、落語にも出てくる番頭さんはここでドガチャガドガチャガ帳面づけ…



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街にあった共用栓(大正期の共同水道)、このハンドルが使用許可代わりの鍵である。



 さて、いまは観光客が集まる小樽運河だが大正12年、沖合に埋め立て地を作り海岸線との間に完成したものだ。しかし、こうして発展した倉庫群も戦後はその役割を終える。昭和50年前後には運河はゴミ捨て場のようになり、大量のヘドロが溜まったという。そのころの写真があった。

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昭和50年の小樽運河、とても汚れている。



 使用してないこの運河を埋め立てて道路を作る計画が着工する。倉庫は取り崩されていったという。でも、そこに始まったのが運河保存運動であった。文部省も景観保存のモデルケースとして小樽運河をあげるまでとなったとIさんは解説してくれた。
 運河館には小樽の自然コーナーもある。こちらにも珍しいものが満載だ。ぜひ触っておきたいものを最後にいくつか紹介しておこう。


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復元された縄文土器、北海道の縄文人がアイヌの人たちの祖先なのか?この問題は難しいとIさんはいう。



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手宮洞窟の原始芸術、1600年以上前の彫り込んだ何かのマーク。同じマークが30以上もあるという。



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ヒグマの皮、ちょっとほっぺがかゆいので熊さん掻いてくれる?



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トドの骨格、手足はきれいに5本指だ。




 予定では、この後、Iさんの解説で本館の旧小樽交通記念館を訪れるつもりだったが、やまない大雨にSLにも乗れないことだし今回は断念、代わりに旧日銀小樽支店の金融資料館に向かった。



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辰野金吾が手がけた日銀小樽支店、内外の壁にアイヌの神シマフクロウが彫られている。




 解説をしてくれた係の方の話によると、明治45年建築のルネサンス様式という。柱が1本も使われていない吹き抜けの事務室は見事だという。創業したての八幡製鉄所の鉄骨が使われている。平成14年まで実際に使われていた銀行である。

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ルネサンス様式の事務室、天井まではきりん2倍以上だと係の人が教えてくれた。



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カウンターも大理石、しゃれたデザインが施されている。



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扉も当時のものか、大きな日銀マークが触れてわかる。



 こちらではお金の歴史・流通などがわかる。現在流通しているのは90兆円強という。1万円札は約5年で交換、千円札はやはり回転がよいせいか1〜2年で新札と交換していると聞いた。

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1万円札を積み上げた3メートルの柱で背比べ、私の身長は1億6000万円



 この金庫をぜひ触ってみてほしい。明治からの金庫がそのまま使われていたという。扉だけでも7トンの重量だとか。

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金庫の扉はこの厚さ、蝶番式の開閉とは…。なんでスライド式の扉にしなかったのかな?



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10キロになる1億円を持ち上げてみた(もちろん偽札でした)



 ここを解説してくれた係の方もとてもお話し好き、案内してもらいつつ時間を忘れた。小樽の博物館巡りはこうして大雨に少し阻まれたものの、名解説者の方々のおかげで手と耳と心にとても印象深いものとなった。ぜひ、小樽を訪れるときにはガラスやオルゴールもいいが博物館も忘れないようにしてほしい。

● 小樽市総合博物館
 http://www.city.otaru.lg.jp/simin/sisetu/museum/
● 金融資料館へようこそ
 http://www3.boj.or.jp/otaru-m/

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