第17回 宮城の巻 その3 石ノ森ワールドと支倉ワールド、ともに世界を見据えた2つのワールドに出会える街・石巻! マンガッタンライナーが走るJR石巻駅に降りたつと、そこは、いきなり石ノ森ワールドである。 石ノ森章太郎のキャラが描かれたマンガッタンライナーが着く石巻駅 駅前のお出迎え1号はサイボーグ009のキャラクターだ。この写真をみてほしい。次のキャラクターはどこかな?なんて、見え隠れする石ノ森章太郎キャラをたどっていくと、たどり着くのは「石ノ森萬画館」であるというニクイ演出だ。 左からサイボーグ003→仮面ライダーV3→初代仮面ライダー→ゴレンジャー(アカ)→ロボコンと続くマンガロード。仮面ライダーってこんな形だったんだ、ポーズを触って真似てみた。 これが石ノ森萬画館だ。 石ノ森の漫画の世界にみなさんはどれだけお世話になられただろう。私は仮面ライダーくらいだろうか(アニメではなかったが…)。そんなことを思い出しながららせん状廊下を進むと、次から次へと石ノ森ワールドが始まるのだ。 まずはサイボーグ009の世界に突入! 仮面ライダーは30世代を数えつつ現在も続いているらしい。すべてのマスクがこちらに並ぶ。残念ながら触れられない。各仮面の違いを知るにはショップでフィギュアに触れるとよい。 こちらがサイクロン号、こんなふうになっていたんだ!またがってみた。弱視の方なら画面に合わせてドライブ・シミュレートができる。 さるとびエッちゃんに触れる。これも石ノ森作品だった…。 キャラクターに触れてみて、急にその時代がたまらなく懐かしくなったら3Fのライブラリーに行こう。平日なら、リクエストに応じて好きな番組をブースで見ることができる。私は忘れかけていた「ロボコン」が見たくなった。 こちらがライブラリーのブース、好きな番組を独り占め、ヘッドホンも貸してくれる。 こちらもぜひのぞいてみてほしい。石ノ森がこよなく愛したチキンラーメンを、石ノ森先生おすすめの調理で味わうことができるレストランがある。 レストランのメニューもユニーク。チキンラーメンは話のタネに食べてみたいものだ。 また、1Fのショップも必見である。意外と触れる商品に発見があるものだ。歴代仮面ライダーのフィギュアをじっくり触察するもよし、走るサイクロン号を買うもよしである。 ミネラルウォーターのボトルも面白い。仮面ライダーのボディになっている。おやっ、ベンチに仮面ライダーさんがものうげに座っているではないか。 腕組みをしてどこか考えこむ仮面ライダーさん。 私は彼に震災時のことを尋ねてみた。窓の外の歩道橋を指さして、あの高さまで水がきたと仮面ライダーさんは教えてくれたのであった。 石巻市八幡町歩道橋、実際に昇ってみて実感する津波の高さ。 では、石巻が発信するもう一つのワールド、支倉常長・慶長遣欧使節の足跡を訪ねてみよう。それが「宮城県慶長使節船ミュージアム」(サン・ファン館)である。 まずは館前にあるこちらの建物配置図で全体の位置関係をつかんでおこう。 なんといってもここでの触るメインディッシュは、慶長遣欧使節をメキシコへ運んだ洋式帆船「サン・ファン・バウティスタ」の復元船である。 これが復元船の全貌。 この日はなぜか強風、風速15メートルを超えると繋留している復元船の見学ができなくなるという。なんと展示室に降りるエレベーターが強風のために停止しているではないか。 風で止まるエレベーターを初めてみた。車いすのお客さんも唖然! なんとか係員を呼んでエレベーターを動かしてもらい、いざ見学開始である。まずは順路を無視してショップに行こう。もちろん事前に館内案内を申し込んでおくことも忘れないでおこう。今回、案内についてくださったYさん、ショップでサン・ファン・バウティスタの全体像を知るためにとペーパークラフトでできたものをまず触らせてくれた。 自分で作るのは難しいが、こうして触れると大まかな全体像がよくわかる。青空を背景にするものと夕日をバックにするものの2種類のクラフトがある。 そして、次はこちらを触らせてもらおう。買えば1万円はするという精密なサン・ファン・バウティスタの模型である。帆を張るロープの1本1本までが細かくできている。売り物なのでくれぐれも慎重に指を動かしてほしい。ロープには滑車がついているという。すると本物の滑車をショップでは売っているのだ。好きな人には、室内装飾の一つとなるのらしい。 精巧な復元模型を触る。ここにある滑車の実物はさておいくら? さて、Yさんの案内にて展示室に向かうが、こちらでは触れてよいものは残念ながらない。ただ、Yさんはどんな質問にも気軽に応えてくださり、話を聞きながら疑問が浮かべば、その都度、頭にできたイメージを修正・確認することができた。 当時の世界地図の前で解説をしてくれているサンファン館のYさん。 慶長使節とは、今から約400年前の1613年(慶長18年)、仙台藩主伊達政宗が、仙台領内でのキリスト教布教容認と引き換えに、ノビスパニア(メキシコ)との直接貿易を求めて、イスパニア(スペイン)国王およびローマ教皇のもとに派遣した使節である。使節に選ばれた家臣支倉常長は、宣教師ルイス・ソテロとともに、仙台藩内で建造された洋式帆船「サン・ファン・バウティスタ」で太平洋を渡るのだが、その出帆地が石巻のここ月浦(つきのうら)であったのだ。彼は、メキシコを経てイスパニアに至り国王フェリペ3世に謁見、さらにローマに入り、教皇パウロ5世に拝謁したが、幕府のキリスト教弾圧などから目的を達することはできず、7年後の1620年、常長は仙台に戻ったという。 こうして、ある程度の歴史的背景を頭に収めることができたらエスカレーターでドックに進もう。復元船への乗船も幸い可能だとのこと、ひとまず安心した。震災時の津波では、木造船のおかげで沈むことはなかったのだが、さすがにマストなどは折れたという。 ドックでは津波に折れたマストやマスト先端の見張り台をまず触れてみる。 さあ、乗船である。船内も細かく解説してもらうことができた。触ってみておもしろいものを紹介していこう。 全長55メートルのこの帆船、メインマストの高さは32メートル、太さは約90センチという。 砲弾を後ろからこめる大砲も複数設置されていた。 武器として大砲の他にも火縄銃やアーチェリー式弓矢もあった。 時間は砂時計で知るようだ。大きなものでも周期は30分。 当時の羅針盤、これは触れることはできなくて残念。 航路はこのように糸付のピンを順々に刺していって確認していたのか。 舵を操る棒。私も後ろからちょっとお手伝い! 手動巻き上げ機。これまたちょっとお手伝い! 船倉に貯まる浸水をくみ出すポンプを動かしてみた。 10月からの約90日の太平洋横断、180人の胃袋を支えるのもたいへんだったろう。最後は、船内の生活ぶりがわかる触察に入ろう。 5層の船内、階段下では貴重なタンパク源として鶏が飼われていた。模型の鶏もちゃんと展示されている。 かまども復元されていた。鍋の中の具材も触れる。 揺れる船内だからだろう、物入れは丸い穴からの取出しのようだ。 揺れに抗して眠るには体を折り曲げてのこのサイズの小さな枠付きベッドがいいらしい。 今回はまる1日の行程で石巻にある2つのワールドを紹介してきたが、この他にも石巻焼きそばや海鮮丼など、おいしい食にも時間を割いて触れていってほしい。冬の季節なら「カキ小屋」をめぐるのも石巻ならではの楽しみとなるであろう。 ●参考サイト: 石ノ森萬画館 http://www.man-bow.com/manga/ 宮城県慶長使節船ミュージアム(愛称:サン・ファン館) http://www.santjuan.or.jp/ indexに戻る |