第18回 宮城の巻 その4  日本三景・松島町長様への手紙



 今回は、誰もが耳にしたことのある日本三景・松島の旅の話です。見えなくてもどれくらい日本の風景美に触れられるものなのか、1月末に訪れてみました。

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湾内から眺める五大堂・観瀾亭など松島の名所風景



 残念ながら、手でみる旅の松島観光案内をさっそく…という気分ではないのであります。旅を終えても、腑に落ちない小骨がずっと私の喉にひっかかったままだからです。この釈然としない私の思い、松島町長様、ぜひ聞いてください!!



 宮城県松島町・町長 様

 私は全盲の57歳の男性です。

 去る1月23日・24日と、松島歩きに出かける機会を得ました。その時に気づいたことをぜひお伝えしたく、失礼とは存じつつも手紙を書かせていただきました。それは、ぜひご一考願いたいことがあるからです。


●宮城県松島町/町長あいさつのページ(町長の名前は墨書されているらしい。だが、画像なので視覚障害者にはなにも伝わらない)http://www.town.matsushima.miyagi.jp/index.cfm/7,191,18,html

 さて、長くなってもいけませんので、町歩きにて気づいた点について率直に書かせていただきます。全盲の者がどのようにしたら松島を楽しむことができるのかといったテーマのお話となります。視覚障害のある人といったマイナーな存在などは観光客としては眼中にない、と言われるのでしたら、ここから先はまったくお読みいただく必要はありません。もちろんお返事のことなどもお考えいただく必要はありません。

 いきなりですが、なぜ、点字のパンフレット、特に触れてわかる地図類が一切ないのでしょう。外国人向けには、何種類ものカラー版パンフが準備されているのにです。

 松島湾の遊覧船も乗せていただきましたが、船内放送を聞くにつれ、「これで地図があればどんなに楽しめることやら…」と悲嘆の思いでした。「右をご覧ください…」とか「その奥にある島が…」とか、首を左右にふるだけの小一時間、いくつか島の名前を覚えて帰るだけの遊覧でした。


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遊覧船の甲板に出て島々を目にしたつもりだったが、島巡りの解説だけがむなしく冷たい風に流れ去っていくだけだった。




 地図などの線を点字の1点1点のように盛り上げて触る線で作成する「触図」はすでに一般化しております。みなさんにとって一目瞭然という言葉があるように、私たち全盲にとっては、触れればわかる一触瞭然という世界もあるのです。

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市販されている点図地図帳(左:東北地方の自然図)、パソコンで描いた図は点字プリンタにて簡単に点図として打ち出せる(右:バルカン半島周辺図を作成してみた)




 松島の地図入りパンフレットは見える人向けには、日本語はもとより、英語版、ハングル版、中国語簡体字版、中国語繁体字版と外国からの観光客に対しては4種類も発行され自由に手にとれるようになっていました。そして、日本人のための点字版がないのです。これをどう考えたらいいのでしょう。こんなことを伝えるのは、全盲の点字使用者のひがみ?と思われるのではと、何度も何度もこのお手紙を書こうか書くまいか悩みました。でも、どうしても腑に落ちない思いがつのり、町長様に伝えるだけは伝えたいという気持ちが勝ってしまいました。

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こちらが、立派なカラー版外国語パンフレット、4カ国語に対応…!




 外国観光客向けには4種類ものパンフレットがあるにもかかわらず点字版のそれがない。町歩きの帰りに観光案内所みたいなブースにて、「点字のパンフや地図みたいなものはありませんか?」と担当の女性の方に尋ねてみました。すると、「個人のボランティアが作ってくださったものが以前はあったのですが…」というお話でした。津波で流されたのかもしれませんね。それはしかたありませんが、この担当の方の言葉にも釈然としないものが残りました。点字のパンフレット類は点訳ボランティアが作るものと言わんばかりに聞こえたからです。「私たちでは作りませんが気の利いたボランティアが作ってくれると思いますよ」、みたいに聞こえてしまいます。これも私どものきっとひがみ?にすぎないのでしょう。それはあの立派な外国人向けパンフの存在を知った後だったからかもしれません。もちろん外国人向けパンフもボランティアから譲り受けたものではありませんよね、予算化された政策のひとつとして実現しているのでしょう。これに対して、点字版パンフの作成は松島町では町政の一つとしては数えられなかっただけなのでしょう。とても残念でなりません。

 町長様のあいさつ文の中には「松島町は『歴史・文化の継承と創造』をスローガンに、明るい笑顔と温かいおもてなしの心で皆様のおこしをお待ちしております」とあります。なるほど外国語パンフを作成したことが‘おもてなし’の一つなんでしょうね。そして、見えない人たちは、たとえ日本人であっても‘おもてなし’の仕方がわからないので放っておかれるのでしょうね。「何度でも訪れたくなる観光地です」とも町長様のお言葉にあります。でも、全盲の人なら、もう島巡りで松島は再訪はしないでしょう。ただし、触れてわかる地図入りのパンフレットができたというニュースがあれば俄然行ってみたくなるポイントの一つとなることも間違いありません。

 ぜひ、湾内の景色を私は指で確認したいです。日本三景と言われるその所以をこの指で感じ取りたいです。指でさぐる地図と言葉から想像するイメージの力でその「風景美」の一端を少しでも私はこの見えない身体全体で感じ取りたいです。

 今回、町歩きのすべてで違和感を感じたのではもちろんありませんので、最後にとても楽しめた点についても触れておきます。それは町歩きをともにしてくださった観光ボランティアの方々の暖かさです。観瀾亭・五大堂・瑞巌寺周辺を歌もまじえて案内くださったボランティアのAさん、瑞巌寺内をご案内くださったBさん、想像していただけでまったく実際とは異なっていた松島のイメージ、みなさんのおかげで刷新することができました。私からの愚問にもユーモアたっぷりに応えてくださり本当に暖かい時間を過ごしているという実感があり
ました。


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私の両腕を半島に見立てて取り囲まれている松島湾の形を教えてくださっている観光ボランティアAさん、これで松島湾の全体像がよくわかった。



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五大堂へ向かう透かし橋、白杖をうまく使わないと落ちるかも?




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瑞巌寺って三方を岩山に囲まれていたのです。はじめて知りました。その岩山には住居跡のある洞窟がたくさん…。



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瑞巌寺・国宝の庫裡内に吊られている「火の用心」のお札、手を取って触れさせてくださった観光ボランティアBさん。漢字が絵になっていることがよくわかる。



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瑞巌寺仮本堂に安置された伊達政宗の位牌。伊達家の紋「竹に雀」が手で確認できる。




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冬の松島は牡蠣(カキ)の季節、左から自分で取り出す生牡蠣、牡蠣丼、牡蠣バーガー。旬の味が堪能できる。



 このように、見えない者にとっては、旅の楽しみは、これまでのイメージを新たに塗り替えてくれる出来事、物、言葉、そして食と触に出会うことなのです。加えて暖かく迎えてくださる人の心に出会うことなのです。

 松島町長様、もし、見えない人にも松島観光をぜひ!と考えてくださるようでしたら、ここに書きましたこと、参考にしていただき町政に反映していただけたらと願っております。


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下船して桟橋から杖で海水に八つ当たり?このままじゃ、つまんないよ日本三景・松島くん…


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