第19回 宮城の巻 その5  湯香りの向こうで、古い物見つけ旅 〜駅開業百年鳴子温泉〜



 県内有数の温泉郷「鳴子」には大きく分けて5つの温泉町がある。川渡・東鳴子・鬼首・中山平、そして今回訪れた「鳴子」の5つである。これらの温泉町を貫くように走るのがJR陸羽東線「リゾートみのり」号だ。4月末、ここ「鳴子」の町に降り立った。

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駅名は「鳴子温泉」駅。今年で開業百年という




写真2
だれかの手作りか?リゾートみのり号の紙模型がちょこんと飾ってあった。




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駅前で見つけた立体的なイラストマップ。けっこう鳴子温泉郷周辺図がわかるではないか




 古き物を訪ねての旅。やはり、まずは伝統的な「鳴子こけし」とご対面といきたい。ところがである。もう少し芸術的インパクトをもってのご対面を期待していたのだが、あれれ、町のいたるところで「こけし」のお出迎えである。

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駅を出てすぐに見つけたマンホールに「こけし」




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横断歩道代わりなのか、緑のおばさん風に立つ「こけし」たち




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もちろん郵便ポストだってこのように「こけし」




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ここまでされたらしかたない!還暦前のおじさんだって悪乗りして顔出しこけしでパチリッ…




 こけしのある風景で満足している場合じゃない。本物の「鳴子こけし」とのご対面といきたい。そこで、訪れたのが「こけし・ぬりもの」と看板を出しているお土産店。ここは「まるよし」、鳴子系こけしを販売しているお店だ。鳴子は日本三大こけし発祥の地という。店主がいろいろと教えてくれた。鳴子系の特徴は、なんといっても首が左右に回せること、そして、そのときに、「キュッキュッ」と音が鳴るのである。胴体も下にいくにつれラッパのように少し広がり、模様も菊の花に特色があるという。大きなものは1メートルほどのものも、これもやっぱり首が鳴った。

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 「まるよし」の店主が鳴子こけしの特色について語ってくれた。




 さて、「ボ、ボ、ボクたち古い物見つけ隊」なんて、口ずさみながら偶然小さな路地で見つけたのがこの看板、ここって何のお店なの?店先のこの古色蒼然たる金箔の看板を眺めていると奥から現れたのが、ここ福井商店の元店主だった。

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これが金箔の立派な看板。「特約店福井薬舗、‘健康’」などと書かれている。‘健康’とは薬の名前である。




 なんと、このお店、薬問屋だったという。今は営業はせずに明治以降代々伝わってきた古き物を個人博物館として展示しているというではないか。さっそく見せてもらった。元薬店というだけあって、昔懐かしい薬の看板が多く展示されている。みなさんはこれらの薬の看板をみて「あった!あった!」と思わず懐かしむ世代だろうか。

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にきびとりと言えば「美顔水」、桃谷順天館の金箔看板(この会社いまは明色化粧品)




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山崎帝國堂の「毒掃丸」の金箔看板。効用は梅毒・體毒・諸毒下しとあるのが時代めいていい





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秋田の銘酒「爛漫」の陶器の酒樽。英国エリザベス女王即位の時に日本から献上された物と同じ器だという。




 この福井家は仙台藩士の家系らしい。あの伊達騒動の原田甲斐屋敷の近くに福井家はあったのだ。古地図を見せてもらった。

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古地図のコピーを前に元店主が説明してくれた。現在の仙台の裁判所の辺りが屋敷跡らしい…




 また、あの会津戦争のとき奥羽鎮撫総督府下参謀として派遣されてきた世良修蔵の目に余る所業に対して、暗殺計画を立てて実行した仙台藩士の一人、赤坂幸太夫は、この仙台藩士福井家の一族だったという。

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福井家に伝わる藩士録、幸太夫の欄に「維新の時世良修蔵を切る」と書かれている。




 福井商店博物館の記念に撮らせてもらったのがこの写真、「ブラックニッカ」の前掛け、「マッサン」が流行った今ではけっこうなお宝物ではないだろうか。

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ニッカおじさんの絵と「BLACK NIKKA」と書かれた前掛けをつけて番頭さんの気分?




 再び、温泉街に戻って見つけた古き建物、最後にこの写真をお届けしよう。廃墟となった「鳴子DX劇場」だ。昭和の温泉町を象徴するものである。70年代後半を京都で過ごした私にとって、「DX東寺」や「DX伏見」はどこか耳慣れた響きである。まさかここで廃墟のDXの小屋を見るとは…、なんとも感慨深い旅となった。

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いかにものハート型の窓である。隣のスナックも廃墟のまま放置。もしかして、これって宮城県の「近代的風俗遺産」?




 お待たせしました。「下駄も鳴子」がキャッチフレーズの鳴子で、やっぱり最も古いものと言えば、温泉。硫黄なのだろう、いかにも温泉町らしい香りの幕に覆われての散策を続けていたが、いよいよ本丸進撃である。すぐ後ろが源泉という共同浴場「滝の湯」へいざ突入、ポチャリ。「熱ーい!」とまさに悲鳴も鳴子である。飛び出た横に、温めの湯船を見つけて源泉掛け流しの打たせ湯としゃれこんだのであった。

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おや、ここにも古き「ケロリン」の湯桶。「いい湯だな…」、少し白濁したお湯であった(お一人様150円也)




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源泉から滝の湯に引かれている7本の木の管




 立札によると、826年に起きた鳥屋ヶ森山の噴火でこの温泉が湧き出したという。人々はその地面の唸り声にも似た音を神の声と聴いたのか、この地に温泉神社が建立された。

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温泉神社に参拝、いまだDXがちらつく頭で何を神に願うのやら…




 昼食は「ふじや」で山菜そば。そこで聞き流せない情報がもたらされた。なんと鬼首(吹上地区)まで行けば、雪解け水が流れ落ちる滝壺が露天風呂となっている「湯滝」があるというではないか。ここは車賃を奮発、約25分で到着。お目当ての滝を発見、おや、湯滝で冷たい雪解け水に体を打たせている人がいるではないか。

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吹上沢に落ちる滝壺露天風呂、水着着用禁止の混浴、道からまる見えである




 道から見られている?見えない私にはそんなことは関係ない。体験第一である。熱い内風呂を抜けると、そこは大露天風呂。小枝も浮かぶまさに自然の湯であった。

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寝転んでゆったり洞窟露天風呂




 先客もいなくなったので、ジャジャーン!滝壺へ進撃。さぞ水も冷たかろうと思ったが、震えるほどではない。梅雨明け頃に最適温となるという。でも、熱湯が湧き出しているところに足が近づくと悲鳴が鳴子である。

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誰もいなきゃ心霊スポット?さすがに滝に打たれるのはご勘弁を…(お一人様500円也)




 本日2度目の湯上りに体も心地よい脱力感、鳴子の旅の最後に「吹上間欠泉」を見学した。約15分ごとに10メートルくらいは吹き上げるという「弁天」という名の間欠泉の前に立った。ゴロゴロゴロという地面のつぶやきとともに上がった間欠泉、なぜかこの時は5メートルほどで力尽きた。私の鳴子の旅の疲れをそのまま映したかのようだった。

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間欠泉「弁天」の音をICレコーダでキャッチ、この日はまるで迫力なしに力尽きたようだ(お一人様400円也)




 今回、特に「古き物探し」を狙った旅にしようとしたのではない。駅を降り立つや次から次へとまるで向こうから押し寄せてくるような古き物に出会える町、それが鳴子であった。一泊すれば夜の鳴子にも新たな古き物との遭遇が待っていたことだろう。次回は鳴子で「寝る子」といこうか。

●参考サイト:鳴子温泉郷観光協会公式サイト(宮城県大崎市)
 http://www.naruko.gr.jp/


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