第20回 宮城の巻 その6  ロケット・宇宙・未来と語る角田市。未知に挑む人に逢いたいなら(ついでに受験生も)GO!Kakuda

 えっ、宇宙センターが宮城県に?それを知ったら訪れたくなった。さっそく電話にて見学と案内を依頼したのが、角田宇宙センターだ。JAXA(宇宙航空研究開発機構)の宇宙センターと名のつく施設は日本に4か所。つくば・調布・種子島、そしてここ宮城県角田にある「角田宇宙センター」だ。5月、あぶくま急行の角田駅に私は降り立ったのだった。

写真1
オーク・プラザ(角田駅コミュニティプラザ)と一体化した角田駅。タクシーのりばへ




写真2
ありましたご当地マンホール。やっぱ絵柄はロケットやね




 車で約10分、角田宇宙センターで出迎えてくださったのが本日案内をしてくださるKさん、100分の1のH-UBロケットの模型をさっそく手渡されたのだった。さあ、未知への私の旅の始まりである。

写真3
ロケット模型を挟んで、JAXAのKさんとの記念撮影




 ロケット開発を知る旅は、玄関先に勢ぞろいのこの20分の1模型6兄弟からスタートだ。初代のN-T(1975年)→「ひまわり2号」を運んだN-U(1981年)→H-T(1986年)→純国産ロケットのH-U(1994年)→あの「はやぶさ」を運んだH-UA(2001年)→そして国際宇宙ステーションに「こうのとり」で荷物を今も運んでいるH-UB(2009年)の6機だ。

写真4
初代32.6mから6世代目は57mへ、身長もウエストも体重も大きくなっている




写真5
H-UBロケットの第2段燃料タンク付近を探索、胴体左右に配線のための膨らみが縦に走っていた(実物なら57m・重量530t)




 次は、発射されたロケットの軌跡をたどってみよう。H-UA202型の場合、第1段エンジン点火し5秒でリフトオフ、同時にSRB(補助ロケット)点火(ちなみに、2008年「きずな」打ち上げ時の初速は秒速0.4km)。

128秒後 SRB、燃焼終了して分離
264秒後 衛星フェアリング分離
390秒後 第1段エンジン燃焼停止
400秒後 第1段エンジン分離
405秒後 第2段エンジン、第1回点火
1466秒後 第2段エンジン、第2回点火
1683秒後 人口衛星分離(2008年の「きずな」の場合、上空283km、秒速10.2km)

写真6
フェアリングとはロケット先端に乗せる人工衛星を覆うカバーである。特殊なハニカムサンドイッチパネル構造のアルミ合金素材、衛星切り離しの直前に左右に分かれ海に落ちるものだという




写真7
リフトオフ後のロケットの位置を示すパネル前、ボールペンをロケットに見立てて説明するKさん。水平方向に次第に傾く様子がよくわかった。ナイスガイドである




 エンジン開発を主とするここ角田宇宙センターらしい展示があった。「失敗から学ぶ」というコーナーだ。1999年のH-U8号機の話だ。

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 1999年11月15日、H−U8号機のリフトオフ時の写真(種子島宇宙センター) 異常がわかると同時に爆破指令、小笠原諸島の北西約380kmの海底3000mから回収された機体から原因を究明。原因は第1段エンジンの異常停止、燃料を高速で送る機構の不具合と判明したという。その回収したエンジンがこれである。




写真9
海底から回収されたエンジンのノズルスカート、あちこちにヘコミが確認できる。断熱防火用の繊維が無残にぶらさがったままであった




 「えっ、なぜ回収したエンジンのこんなところに布があるの?」とエンジンにぶら下がる布きれを手に尋ねてみた。さすが科学の人たちである。Kさんがわからないことは即専門家を呼んできてくれて対応してくださったのであった。その結果、断熱防火の繊維とわかったのである。「ロケット表面にある縦につけた複数の短い棒は何のため?」→「はい、機体強化のためのアルミです」、「機体に塗られたオレンジの断熱材、黄色もあると説明されたのですが?」→「はい、日焼けと同じ理屈、色が変化したのです」などなど、その都度、専門家に尋ねてくれたKさんに感謝である。

 角田宇宙センターでは、未来の研究もされていた。スペースシャトルみたいに再利用可能な宇宙船エンジンの開発である。未来の宇宙船のイメージ紙模型もあった。

写真10
スペースプレーンと呼ばれる未来の宇宙船、エンジンは液体酸素を必要としないスクラムジェットエンジン、丸くなくて箱型だ。これを6機束にする構想だ
 屋外にも展示があった。実物大の第2段燃料タンクと、H-UとH-UAの10分の1サイズロケットだ。




写真11
H-Uの第2段燃料タンク(6m)、ここに人工衛星が接続される




写真12
これで10分の1サイズかい!?こうなりゃ実物大にも触れてみたいじゃないか



 100分の1→20分の1→10分の1ときたら、実物大への気持ちが高まるのも当然であろう。そこを見透かすように角田市スペースタワー・コスモハウスには、実物大のH-Uロケットがあるという。さっそくタクシーで移動。あったぞ、小高い丘の上、地上49mの実物大ロケット。エンジンのノズルスカートの中にもぐってみた。

写真13
中は直径4mの空間、補助ロケットのSRBまでの距離を杖で測ってみた




写真14
展望台が隣接、機体を見ながらのエレベータ(お一人様320円也)。「NIPPON」「H-U」と胴体には書かれているという




 有料展望台には、小さな展示物コーナーもあった。はじめて知ったのが人工衛星の形である。直方体だった。私のイメージとしてはロケットの先に乗せるのだから当然円錐形とばかり思っていた。そういえば、「はやぶさ」も徳用マッチみたいだったっけ。

写真15
地球資源探査衛星「ふよう1号」の模型。太陽電池パネルを折りたたむのだからやっぱマッチ箱型がよかったのかな




 小さな展示室だが、ほとんどが手で触れられるのがうれしい。

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火星探査機ボイジャーの模型。でも、これじゃ大きすぎて触ってもちっともわかんない




写真17
欧州宇宙機関のアリアンX(全長50m、直径5.4m、重量716t)の20分の1模型。ビジネスとして最も成功したロケットとされる




 旅の締めくくりはいつの時代も記念写真と決まっている?宇宙服を借りて、宇宙飛行士・野口聡一さんとなってパチリ!宇宙服はつなぎだった。両腕、両胸にはやたらワッペン、「NASA」「日の丸」「kibo」などである。野口さんと一蓮托生のメンバー名の入ったワッペンもあった。

写真18
「やあ、地球のみなさん、ISSからただいま戻りました」と決めたいが、これじゃ、どうみても畑仕事帰り?だよね




 では、お遊びもここまで。最後にJAXA公認宇宙食の「スペースカレー」を一つゲットし、コスモハウスの丘を近未来的に立ち去ったのであった。

写真19
ここスペースタワー・コスモハウスは遊具もいっぱい。楽ちんコロコロ滑り台で階段を使わずに丘を下る(どこが近未来的…?)




写真20
宇宙食「スペースカレー」の作り方をiPhoneアプリ「iよむべえ」でOCR、スキャン結果を読み上げさせてみた




写真21
パッケージの中は、あれれっ、ルーのレトルトパウチのみ。宇宙食カレーというのだからごはんと一体とばかり思ってました。宇宙ではごはんはどうするのかな?




●参考サイト

 角田宇宙センター
 http://www.kspc.jaxa.jp/japanese/index.html
 角田市スペースタワー・コスモハウス
 http://www.city.kakuda.miyagi.jp/syoko/page00109.shtml
 スペースカレー/ハウス食品
 http://housefoods.jp/products/details/space_curry/



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