第25回 秋田の巻 その1  全盲ディーゼル機関車運転体験なら小坂鉄道レールパーク 〜明治の産業と文化の躍動が手に伝わる小坂町〜


 ある日、秋田市での講演に招かれた。仙台から秋田新幹線で直行はおもしろくないと前日から出かけたのが小坂町経由での秋田市入りだった。JR新青森駅にて奥羽本線下りにて大館駅へ、そこからはバスで約50分の小坂町。秋田市入りにはかなりの遠回りの寄り道だが、なにより体験したかったディーゼル機関車の運転体験ができるレールパークがそこにはあるのだ。

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小坂町への最寄りはここ大館駅、特急「つがる」から1番線に降り立った





写真2
1番線にあるハチ公神社。お賽銭を入れると「ワンワン」と鳴き声がするぞ





 実は、ここ大館市は、渋谷駅前に立っているあの「忠犬ハチ公」の秋田犬ハチの生れ故郷だったのである。そこでできたハチ公神社ではあるが、この賽銭は何に使われるのか疑問は残った。まさかJR東日本の利益にはするまい。


写真3
だから大館市のマンホール、絵柄はハチ公?秋田犬だ





 駅前でバスのよい時間がない。タクシーで30分、ようやく昼前に着いたのがこちら小坂鉄道レールパークであった。


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1994年まで旅客を運んだ小坂鉄道の終点駅・旧小坂駅がこのパークの事務所となっている(レールパークの全景)




 この小坂鉄道は2009年に営業をやめたが、2014年6月、小坂鉄道レールパークとしてグランドオープン。旧小坂鉄道の線路と設備を利用して「観て・学んで・体験できる」レール遊びの複合施設として生まれ変わっているのである。

 このパークの体験の目玉は何と言ってもディーゼル機関車の運転だ。さて、そこで問題は私が全盲であるということ。事前に電話予約するときに、怖々「あのう、全く見えないのですが運転させていただけますか」と尋ねてみた。かなり、電話口で待たされたあげくの解答は「無理ですね」だった。そんな一言であきらめる柔な私ではないのだ。「あのう、付いてくださる指導員の方の手に私の手を重ねるだけでもいいのです。とにかく動かしてみたいのです。」と粘り強く交渉、そしてこの日を迎えたのであった。

 受付に行くと係の人は待っていてくださった。二人がかりである。運転席に昇り機関車の甲板を歩くのも常に落下しないかと体を支えてくださっている。完璧なガイド法に関心した。片道100mの運転である。まずはディーゼル2機を始動するレバーとボタンを連打。そして、クラッチとブレーキレバー、そしてアクセルレバーの操作を手を取って教えていただく。指導員の方は「どうぞ一人で動かしてください」と言ってくれた。感激であった。まさに全盲ディーゼル機関車運転体験が実現したのである。走行中、「はい、ブレーキ、引いて」などと的確な指示に従いつつ、復路の100mもあっという間、惰性を計算しての停止位置でのピッタリ停止はさすがにできなかったがとても満足な20分であった。ただこれで5000円。盲学校の修学旅行などで子どもたちにも体験させてあげたいが少し高すぎるのが傷である。


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運転席、左手アクセルレバー、右手ブレーキレバー、いずれも手前に引くと動作する






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大満足の運転体験、当たり前だが本当にDD133機関車走ったぞ






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指導してくださった元小坂鉄道運転士さんと握手





 この他にも、小坂鉄道レールパークにあるお薦め触察ポイントはこちらである。


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意外と知らないレールの形と車輪の形、そしてその接点部がどうなっているかを触ってみた





 次に、係員にお願いして今も稼働する1938年製造のラッセル車に触れさせてもらった。ラッセル車には動力はなく後ろにある動力車が押して進む。動力車は圧縮空気を送り左右のウイングという羽を開閉しつつ雪をどけていくのである。


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単線型ラッセル車の正面は左右に雪をかき分けるように矢印状にとがっていた






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ラッセル車には左右ともにこのような開閉式ウイングがある





 寝台特急「あけぼの」だってあるのだ。運転席には入れなかったが内部がじっくり探索できる。2014年廃止されたがここでは宿泊することもできる。B個室なら一人3240円からである。


写真11
1970年〜2014年まで上野〜青森間を走った寝台特急「あけぼの」が保存されているぞ





 まだある。ぜひ受付に申し出て「タブレット(通票)」と言われる器具を触らせてもらってほしい。単線において通行票の役割をするもので一閉塞区間に一つを定めてこれを持たない列車を閉塞区間内に入れないために受け渡しするものである。その存在は知っていたが、私が知っていた形はタブレットケースだったことがわかった。



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タブレットそのものは中にある丸いキーのことであった(黒板に書かれた時刻表など当時のものが受付にはそのまま残る)





 時間があるのなら、レールバイクを運転するのも楽しい。往復400mを足こぎ運転できる。助手席は電動アシスト付きである。



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ちゃんと係員がいるので停止場所近くになれば「はい、ブレーキ」と声をかけてくれる





 このレールパーク一帯にはまだまだ見どころ・触りどころがあるのだ。レールパークを出て徒歩で2〜3分で見えてくるのが「康楽館」。1910年竣工の日本最古の劇場の一つ、国の重要文化財の芝居小屋である。


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康楽館の全景、外観はモダンな洋館だが内部は畳敷きの芝居小屋





 あらかじめ舞台裏案内を申し込んでおいた。ここでも見えない私を巧みに誘導してくれた。奈落から楽屋・舞台まで触るべきものはいくつかあった。


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奈落にある「スッポン」。滑車つきロープで役者をせり上げる仕組み






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回り舞台の下の仕組み。直径約9mの4箇所に押し棒がある






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楽屋の柱や壁にあふれるサイン、左は平幹二朗(昭和57年とある)、右は由美かおる(イラスト付き)





 歌舞伎や大衆演劇の幟が今も立つ康楽館、本花道と仮花道、花道が2箇所にある。売り子が歩く道板を歩かせてもらった。


写真19
康楽館の座布団が並ぶ客席、上手側が仮花道、T字に道板がある






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名物「回り舞台せんべい」の売り子気分、白杖で探りつつ道板を歩いてみた





 最後に向かったのはここ康楽館からさらに2〜3分のところに移築された明治の近代化産業遺産「小坂鉱山事務所」(重要文化財)である。1905年に建設された小坂鉱山事務所は、かつて鉱産額で全国一位にまでのぼりつめた小坂鉱山の全盛時代の生きた文化遺産であるという。ここでは首からぶらさげる音声ガイドが借りられる(500円)。ただ、これはタッチパネル式なので私には使えなかったが、レールパークや康楽館などこの一帯を歩いていたら自動的にGPSが働いて音声案内する機能もあるので何も操作せずに案内をいくつかは聴くことはできた。


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鉱山事務所の全景、明治38年にこのモダンな洋館である





 鉱山事務所の中に入る。吹き抜けの空間に1本の秋田杉がリードする螺旋階段が3階まで続くのは圧巻である。


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螺旋階段を歩くコツは手すりを持って内側を昇ることである。秋田杉の柱が手すり代わりだ






写真23
まずはこれから触ろう。2階には全体建物像が把握できる模型もちゃんと展示されているぞ





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小坂鉱山に招かれた明治のドイツ人銀・銅製錬技師クルト・ネットー氏、日本初のクリスマスパーティを開いた人物とも言われる





 日も傾いた。大館駅行きのバスに乗り遅れたら大変である。明日の仕事のため大館から「つがる」号にて秋田駅まで今日中に向かわねばならない。それにしてもこの小坂鉄道レールパークを中心とする一帯は触りどころ満載の一角であった。

 では、最後の最後に、おまけ編である。夜に着いた秋田最大の繁華街・川反で味わった見えなくても楽しめる郷土料理となぜか乱入してきた男鹿のなまはげくんとの出会いを紹介しておこう。

 秋田と言えば「きりたんぽ」。半殺しのごはんを炉端で焼き、杉の棒から抜いたちくわ状のごはんの筒が入るのがきりたんぽ鍋であることを初めて知った。


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これは味噌たんぽ、想像していたよりも杉の棒が長い





 こちらは男鹿の「石焼鍋」。水揚げした魚のぶつ切りや貝、イカなどが桶に入れられ出汁を注ぐ。そこに灼熱の石を数個入れて沸騰させるとできあがり。


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野菜は長ネギのみ、魚のあらや骨から外す身はとても美味である





 数え切れないほどの地酒の種類ににんまりしつつ石焼鍋の出汁を楽しんでいたら、突然「泣き虫はいねえか」と現れ出たものがいた。なまはげである。ここ居酒屋「漁屋酒場」のパフォーマンスのようだ。せっかくである。旅の想い出にしっかりお面と衣装を触らせてもらったのは言うまでも無い。


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ふざけすぎてなまはげさんに鉈(なた)で頭割られちゃいました




[参考サイト]
小坂鉄道レールパーク(公式ホームページ)
 http://kosaka-rp.com/
明治の芝居小屋「康楽館」
 http://kosaka-mco.com/
明治の近代化産業遺産「鉱山事務所」
 http://www.town.kosaka.akita.jp/kozan/
ナマハゲが出る居酒屋「秋田川反漁屋酒場」
 http://marutomisuisan.jpn.com/isariya-akita/drink/



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