第27回 兵庫の巻 その2  明石には「触れることがメインとなる旅」を提案してくれる観光ボランティアがいた!

 10月訪れた明石には観光ボランティアガイド「ぶらり子午線観光ガイド連絡会」がある。今回も観光ボランティアと歩いた手で見る旅の話だが、ただ、この明石の観光ボランティアガイドはこれまでの観光地のそれとは大きく異なるのだ。何が違うのか?ガイド申込書にちゃんと「どんなサポートがほしいのか」という備考欄が設けてあるのだ。そこで、こちらが視覚障害者であることを伝えるとガイドの方から「触れることがメインとなるコースガイド計画書」がさっそくメールで届いた。見えない旅人が単独で明石にやってくることが当たり前のこととして受け止められた気分である。

 JR明石駅で私を出迎えてくださったのは「触れて見る明石の旅」をご提案くださったガイドのYさん(通り名はRikyuさん)であった。さっそく駅前の明石城に向かう。

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中堀の白鳥が物欲しげに見つめてますよとRikyuさん…



 Rikyuさんは、明石城公園で事前調査を重ねて触れてもらうポイントを練りに練っていてくれたようだ。まずはその場所を3連発で紹介しよう。

 「この碑の高さは何センチでしょうか?」とクイズがRikyuさんから飛んできた。杖を用いて調べるもなぜ高さが問題なのかがわからない。すると、「正解は209センチ。そうジャイアント馬場と同じですね」。えっ、唐突な馬場さんの登場?2メートルちょっとの高さの象徴としての馬場さんの名前の登場なんだなと私は思ったが、実は209センチには意味があったのだ。この碑は1995年のあの兵庫県南部地震の慰霊碑だとRikyuさんは言う。平成10年になんと全日本プロレスが建立したと言うではないか。そう、ここ明石はジャイアント馬場ゆかりの地だったのだ。Wikipediaによると、1955年〜59年巨人の右投げの投手だった馬場は1960年1月、巨人から大洋ホエールズに移籍、大洋の明石キャンプにテスト生として参加していた。Rikyuさんは続ける。「馬場の奥様は明石の出身の方でもあります」。

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この慰霊碑がジャイアント馬場の背丈になっている



 次に飛んできたクイズは「この階段を昇ると出会える幸せとは何でしょう」だった。これまた唐突な問いである。本丸に続く階段を88段ほど昇るとそこに幸せが見えるとRikyuさんは言う。まったくわからない。連れて行ってもらった。見えた幸せとはこちらである。

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この階段横の石になんと横向きに苔でハートができていた



 この後、茶の湯のための井戸の跡や今は途絶えた明石焼(陶器)、算木積みの石垣とその扇の勾配などの話を聞きながらたどり着いた明石城最後の‘触’のポイントはこちらであった。

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石垣を割って伸びたこの木を見よ!でも、Rikyuさん、これって何の木?



 さて、明石と言えば「時のまち」。その象徴ともいえるのが東経135度の子午線上に建つ明石市立天文科学館だ。いざ…そちらへ、おっと、「本日は休館です」とRikyuさんがボソリ!その代わりに向かったのはそぞろ歩きにぴったりの「時の道」であった。


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入り口にあったルートマップ、凹凸があってよく触ると道がわかるかも?

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日時計って棒が立っているとばかり思ってました!

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普通の道にも走る135度の子午線(鉄の細い棒が埋まってました)

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あの震災時、倒れたモニュメントをあえてそのままに!



 やがて、そぞろ歩きにはややきつい階段を昇るとこちらは月照寺である。山門をくぐってすぐ左に「ふれあい観音」がおられた。こんな解説文をRikyuさんが読み上げた。この観音様は「特に視力の弱い方々にお救いの誓願をお持ちです」とあるそうだ。

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還暦過ぎた私、ふれあい観音様のどこを撫でさせてもらおうかな?



 月照寺を尻目にやや下ると芭蕉の句碑と出会った。「蛸壺(たこつぼ)や、はかなき夢を、夏の月」だ。芭蕉45歳の作品のようだ。「はかなき夢」とは須磨を追われた平家の夢か、それとも蛸壺を自然の岩穴と間違えて安心して眠っていたタコの夢なのか。

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この句碑を見ると、やっぱ明石と言えば、芭蕉のころからタコなのだった!



 続いて訪れたのが柿本神社である。言わずと知れた和歌で有名なあの柿本人麻呂が祭神である。地元では「人丸さん」と呼ばれているらしい。ここには、不思議ないわれをもつ碑がある。歌道の隆盛を願った明石藩主・松平信之が1664年に建てた人麻呂の顕彰碑だ。この碑の台座は贔屓(ひき)でこれは重い荷物を背負うことを好むとされた亀に似た中国の神獣である。不思議な話というのは、この碑に書かれた人麻呂の功績・1712文字を一息で読み上げると台座の贔屓が動くというのだ。

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この亀さんに動いてもらうには肺活量いかほど必要かしら?



 柿本神社には視覚障害者にとっておもしろい話がある。「盲杖桜」という話だ。

 解説文によると、昔、築紫の国より目の不自由な方が当社をご参拝され、ご祭神の御前で「ほのぼのと まこと明石の 神なれば我にも見せよ人丸の塚」とお詠みになられたところ、たちまち両眼が見えるようになりました。両眼が見えるようになり、必要のなくなった杖をご奉納されたところ、その杖が桜の木になったと伝えられております。」とあった。何とも人丸さんも脅迫されてしかたなかったのだろうか、というかそれほどに強い切なる開眼の思いを受け止めてくださったのだろう。

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言い伝え通りだったら私も杖を置いて帰れたのにな…



 Rikyuさんと歩いた時の道も山陽電車の「人丸前駅」でお約束の2時間となった。ここでガイドは終了である。最後に記念撮影をお願いした。取って置きの撮影ポイントがこの駅1番線にあった。135度の子午線は鉄路も恐れずここも貫いていたのである。

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これがメッチャ楽しいRikyuさん、子午線を挟んで私は東に向かいます…



 今回の明石の旅も、数々の触の喜び、好奇心を満たしてくれた初めて知った出来事など見えない旅人にとって満足感あふれるものとなった。何よりも、今回はガイドのRikyuさんとの出会いが印象的であった。さすが根っからの関西人、見どころごとの解説に必ずボケが入るのだ。こちらがつっこむとそこにまたボケがかぶさってくる。こちらがスルーすると照れ隠しなのか自虐的な笑いがもれてくる。まあ、なんとも楽しいガイドさんであった。JR明石駅改札まで見送っていただく途中、なぜか話題がRikyuさんの若い頃の苦労話となった。障害のある私へのエールだと気付いた。あんなに笑わせてもらったRikyuさんのギャグはもうすっかり忘れてしまったが、あの自虐的な引き笑いの声は今も耳に残っている。

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駅前の魚の棚商店街で昼食。右手に明石焼(玉子焼)、左手に鯛茶漬



[参考サイト]

○ボランティアガイド/一般社団法人 明石観光協会
 http://www.yokoso-akashi.jp/special/volunteerguide/index.html



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