第31回 京都の巻 その2  国宝建築が文字通り手に取るようにわかった宇治上神社

 今回訪れたのは真夏の宇治市。案内いただいたのは宇治観光ボランティアガイドのFさんです。宇治川はこの辺りは南から北へ流れているとの話にさっそくビックリ!琵琶湖育ちの私としては、「宇治川って琵琶湖のお尻から大阪湾へと西に直行してたんじゃないの?」のイメージだったのです。頭の中の宇治川のラインをいきなり右に90度回転させるところから今回の旅は始まりました。

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宇治橋をバックにガイドのFさんと

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宇治川から西を眺めると平等院の鳳凰が小さく金色に光っているらしい



 目的地の国宝の宇治上神社は宇治川の東岸。まずはその手前に鎮座されます宇治神社に参りました。

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こちらが宇治神社

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もとは木像の狛犬だったとか。ちょっとお口を触らせて

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そばには六歌仙・喜撰法師の歌碑。「都のたつみ、うぢ山」とはこの辺りのことか



 宇治上神社は、この宇治神社の参道の奥、朝日山のふもとにあります。明治時代以前までは、この宇治神社と合わせて「宇治離宮明神」と称されており、2つの神社は一対だったようです。

 さあさあ、いよいよ国宝建築とのご対面…!「こちら、宇治上神社は世界文化遺産でもありますよ」なんて言われても…。うーん、見えない者にとって初対面の建築物はイメージのしようがありません。

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国宝の宇治上神社拝殿

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拝殿の後ろにはこちらも国宝・宇治上神社本殿



 Wiki先生の解説によりますと、「拝殿は鎌倉時代前期の造営で、寝殿造の遺構といわれる。切妻造、檜皮葺き。桁行6間、梁間3間の主要部の左右に各1間の庇を付す。」とか「屋根は切妻造平入りの屋根の左右端に片流れの庇屋根を設ける。切妻屋根と庇屋根の接続部で軒先の線が折れ曲がっており、こうした形を縋破風(すがるはふ)と称する。」などと続きます。また、本殿についても、「平安時代後期の造営で、神社建築としては現存最古とされる。(中略)檜皮葺きの建物内に、一間社流造の内殿3棟が左右に並ぶ。」とか「左殿と右殿は組物が三斗で、組物間に蟇股を置くなど、形式・規模がほぼ等しいが(中略)、外側の桁行5間、梁間3間の建物は内殿の覆屋にあたるが、内殿と覆屋は構造的に一体化しており、左殿と右殿の側廻りや屋根部分は覆屋と共通になっている(云々)」。ああ、もう、文字だけではまったくイメージが描けません。なにがすごいのかもわかりません。「破風って何?」「覆屋って何?」「蟇股って何?」「ああ柱だけでも触らせて」なんてお願いできるわけもありません。

 その時です。ジャジャジャーン!ハテナだらけの頭を抱えていた私の前に現れたのが救世主のSさん。自作された宇治上神社の模型(50分の1)が差し出されたのでありました。拝殿も本殿もそれぞれが本物そっくりの木造の手触りに仕上げたとのことでした。

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こちらが本殿の模型

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こちらが拝殿。破風って言うのはココのこと



 さきほどWiki先生が説明してくれていた「縋破風」とは飾り屋根のことで、屋根からつぎたされた部分で、この拝殿では四方に破風が付いていることがわかりました。模型を触わらせてもらいながらのSさんの解説のおかげです。

 桧皮葺の屋根の意味もわかりました。厚さ10cmくらいになるまで檜の皮を何枚も重ねて、それをたたいて貼り合わせるのです。針葉樹の油にて重ねてたたいたものは一枚の板のようにくっつき50年ほどはもつようです。この板にて屋根を葺くのです。

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Sさん自作の桧皮葺の板。たたいた跡が点々と残る



 次に、拝殿模型の屋根を外してみます。すると、中に几帳がポツンと立ててありました。

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拝殿模型は屋根が外せる

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床には几帳が…。几帳も取り外せる



 続いて本殿の模型に移ります。こちらもおもしろい。Wiki先生が言っていた「内殿3棟が左右に並ぶ」とか「屋根部分は覆屋と共通」の意味が一触瞭然。屋根を外すと内部に神殿が3つあり、それを一つの屋根(覆屋)で覆った形式であることが文字通り手に取るようにわかりました。

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本殿模型の覆屋を外すと内部に左右に並ぶ3つの内殿が。実によくわかる



 実はこちら宇治上神社本殿には「日本三蟇股」の一つとされる「蟇股」があるのです(他2箇所は岩手県平泉町の中尊寺金色堂と京都市の上醍醐薬師堂)。これも耳学問、知識としては知っていたのですが、肝心の「蟇股」自体を知らないのですから意味ないですよね。残念ながら全盲の私の知識って所詮こんなものです。

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蟇股はここにある!本殿の虹梁と呼ばれる水平材の間に挟み、つっぱりとなっている



 さすがSさん。蟇股のみの自作模型もあったのです。そして古建築における蟇股の形の変遷の解説が始まりました。

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東大寺東大門の蟇股は板式。これが蟇股の原型

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板式からこちらの人型蟇股に変遷(法隆寺金堂)

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そして宇治上神社本殿の蟇股は装飾的な進化型へ



 このSさん、現在は平等院の模型を製作中とか…。とても楽しみです。完成の折には必ず見せてもらうことを約束し、ここでSさんとはお別れ。

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こちらが全盲者の宇治観光の神様?Sさん



 最後に拝殿横にある宇治の名水「桐原水」にて涼を取らせていただくことに。茶処の宇治には、お茶に欠かせない「宇治七名水」がわき出ていたようです。しかし、現在そのうち6箇所はすでになくなってしまい、残っているのは宇治上神社のここ「桐原水」だけだそうです。

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相棒の白杖くんも冷たい水で一息



 JR宇治駅まで戻り、やっぱ宇治茶も味わわなきゃと案内いただいたのが宇治抹茶で有名なお店「伊藤久右衛門」。

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やっぱ宇治スイーツの王道はこちら抹茶パフェだよね

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珍グルメは抹茶カレーうどん。とっても濃厚なお抹茶の香りが…

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カレー味のお抹茶、けっこうなお手前です…



○参考サイト
宇治観光ボランティアガイド
 http://www.kyoto-uji-kankou.or.jp/guide/
伊藤久右衛門(JR宇治駅前店)
 https://www.itohkyuemon.co.jp/corporate/shop/jruji/

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