第32回 京都の巻 その3  ハイビャクシンにびっくり!勧修寺の早春

 今回訪れたのは梅の便りが届き始めた山科区の勧修寺であります。なぜ勧修寺なのか?これまでいくつか神社仏閣を訪ねたのではありますが、なかなか手で楽しめるところはありません。そんな中でも、京都に来て初めて「見えなくても訪ねてみてよかった!」と思ったのがここ勧修寺なのでした。

写真1
梅が咲き始めてきた2月末の勧修寺門前



 まず拝観料を納めたら、そこで無料のパンのくずをいただき池に向かいましょう。平安時代から涸れずに水をたたえる「氷室池」が庭園にあるのです。新年にはこの池に張る氷の分厚さにより朝廷では吉凶が占われたと言う由緒ある池、ここに今、鴨が琵琶湖から渡ってきているようです。さっそくいただいたパンをオーバースローにて投げ込みました。羽音とともに小さく水音が聞こえてきます。

写真2
頭が緑の水鳥って、もしかしてかもじゃないのかも…?



 各建物内部は非公開ですが、明正天皇の旧殿を移築したとされる宸殿の概観には触れることができました。そこで、見つけたのがこの手すりです。

写真3
宸殿の手すり。木目をたどると1本の木を曲げているのではないことがわかる



 この手すり、先がカーブしているのですが、木目に注目してよく触ってみると木目はカーブしていないのです。すべての木目は平行なのです。つまり、このカーブした形のまま、1本の木からくり抜いているのですね。こんなことに気付くのが「手で見る街歩き」の楽しみなのです。見えている人には写真を撮るほどじゃない些細なことなんでしょうが。

 実は、神社仏閣で触って楽しめるものの代表的なものに、石と庭木があります。ただ触れられないように囲っているところも多い中、こちら勧修寺には触れても大丈夫なものが多くあります。

写真4
落雷により大きく根元から裂けたヤマモモ



写真5
細石(さざれいし)



 さざれ石とは、文字通り小さな石のことですが、日本では君が代の歌詞にもあるように、長い歳月をかけてこの小石の隙間に炭酸カルシウムや水酸化鉄が埋め込まれてゆき、やがて大きな石となったもののようです。勧修寺の細石はじっくり色の違い目を指で確認できます。全国の視覚障害の多くの子どもたちにも触らせてあげたいものです。

写真6
この木の枝、とっても変わっています、名前わかりますか?



 私、初めて出会いました。こんな枝の木があるなんて。まるで、枝に細い壁が建っているみたいです。トランプのメキシコ国境の壁じゃあるまいし…。係のお姉様に尋ねてわかりました。この木の名前は「錦木」(ニシキギ)と言うそうです。お花やお茶の素養がまったくない私にとっては、この予想外の木の姿にかなり深い印象を受けました。

写真7
有名な「臥竜」と名付けられた4代にわたる老梅



 こちらは、江戸時代に京都御所から贈られたとされる「臥竜」(がりゅう)とよばれている有名な老白梅、樹齢300年とも言われているそうです。なんとこちらも触れられました。左から右に向かって世代が進んでいきます。でも、3代目の孫が花をつけているところまでは手で確認できましたが4代目はどこかわかりませんでした。

写真8
圧巻はなんと言ってもこのハイビャクシン!



 ハイビャクシン(這柏槙)を私、これまた初めて触りました。ここ勧修寺書院前のハイビャクシンは樹齢750年とも言われています。足下に大海のように広がるかと思えば天高くうねり上がる部分もあるようで、まあ、これが植物なのかと伊吹の木の概念を覆させられました。見栄えと言うか触り映えバッチリです。じっくり触察していても怒られないのがここ勧修寺の素晴らしさです。

写真9
こちらも有名な水戸黄門が贈った石灯篭



 残念ながら、こちらは触れられませんでした。独特の珍しい形の背の低いどっしりした石灯籠らしいです。せめて簡単な模型でもあるといいのですがしかたありません。
 そこで、私、思いつきました。紙粘土でも次回からは持って街歩きに出かけようかしら?そうしたら、見える人にちょっとお願いしてらしい形、その場で作ってもらえるかもです。しっかりと似てなくてもかまわないのです。特徴さえわかればいいのです。今回の勧修寺型石灯籠くらいだったら、紙粘土で作ってもらえたかもですね。


indexに戻る