第39回 京都の巻 その10 清水寺を手でみるとこうなる!(後編)

 さて、手でみる清水寺もここからは後半戦。いよいよ拝観料400円(身障割引有り)を支払って本堂に向かう轟門(とどろきもん)をくぐろう。その前にあるのが‘清水の口’とも言われる轟橋。橋の中央部の木の部分が舌、その両側が歯とされている。そのため歯痛持ちの人は龍の手水で口をすすぎ木の部分を渡ると痛みがとれるとされる。

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左に龍の手水。轟橋の木と石の協会は白杖の先でもわかる。後ろは轟門



 本堂に入る前に左に進み朝倉堂の前へ。ここにあるのが巨大な仏足石。弁慶の足跡とも言われるが全長約50cmだ。

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ちょっとイタズラ、足の裏をコチョコチョコチョ…



  本堂前に戻る。ここにも弁慶伝説が。鉄下駄と大小2本の錫杖だ。下駄は片方約12kg。錫杖は大が約2.6mで重さ約96kg。小が長さ約1.7mで重さ約17kg。

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小錫杖なら私の白杖代わりにも(んな、わけない!)




 本堂内の外陣は靴をぬがなくてもよい。ただ歩いていて気づくことがあった。やたらある床板の凹凸だ。床板の節が飛び出ている。というか、節以外の部分がすりへっているというか。それともわざとこのような床板を張っているのかも。私にとっての清水寺の七不思議だ。

写真4
節がやたら飛び出している本堂床板が気になる




 靴を脱ぎ内陣へ上がろう。こちらがご本尊の清水式の十一面千手観音像(御前立ち)だ。他に多くある千手観音とどこが異なり‘清水式’なのか、見える人もなかなか言葉では説明できないものだ。こんな時こそ紙粘土の登場だ。頭上高く伸ばされた両手の姿を中心に作ってもらうとよい。

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公式HPより、これが清水寺の十一面千手観音像




写真6
なるほど冠の上とその上で両手を合わせた上の2箇所に阿弥陀様が




 今回、私もはじめて知った清水さんの千手観音。なんだか腕がたくましい。阿弥陀仏を2体捧げ持ち力感たっぷりに立っておられる姿が見えないにもかかわらずイメージに焼き付いた。

 錦雲渓に迫り出した‘清水の舞台’は高さ13m。いくつもの伝説の舞台でもある。この正面で三筋に別れて落ちるのが音羽の滝だ。昔から滝行の場。今も心身を清める水垢離(みずごり)のための三つの石が三箇所並ぶ。また三筋の水を飲むにも作法がありご利益も異なると言う。

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一箇所当たり3個の石が三角形に並ぶ滝の下





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ご利益は左から学問成就、恋愛成就、延命長寿。一息に飲み干すのが作法




 ここで滝に続く長い行列にあわてる必用はない。手でみる清水寺で私一押しのポイントが本堂の外にあるのだ。舞台から降りる前に本堂の外壁をさわる。腰の辺りの横木に深さ2cmほどの溝が走っているのだ。

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これは工具でつけた溝じゃない!溝は一回りしているのか




 この溝にも伝説があった。夜にお百度を踏みに本堂をめぐる人が絶えず、お堂の外壁をさわりながら回り続けた跡だとか。灯りも乏しい夜、触覚を頼りに壁伝いに歩く信仰深い人々が多くいたということだ。私のような全盲者には俄然身近になる話だ。

 音羽の滝に向かうのはまだ早い。桜の名所でもある隣接する地主神社に立ち寄ろう。手でみる地主神社もかなりお勧めだ(第33回「あなたの歩行能力が試せる地主神社」を参照)。

 地主神社を出ても谷にはまだ降りず音羽の滝の背後に進もう。釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院と続くが、中でも奥の院前におられる「ふれ愛観音」はじっくり触れられる。

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合掌された穏やかなお顔の観音様




 この当たりは高台で有り本堂を振り返ると思わずカメラに手が伸びると言う。そのまま奥の院前の小径を進むと清水寺でもう一つの三重塔‘子安塔’に出る。ここもビューポイントだ。景色がよいだけではない。隣の泰産寺とともに、ここは昔からの安産祈願の地。清水寺に向かう道として有名な‘三年坂’ももとは‘産寧坂’とよばれこの子安塔に続く坂だったのだ。

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高さはちょうど半分15m。もう一つの三重塔‘子安塔’




 ここでようやく谷を降りていく。清水の舞台の下まで出て、行列に並び音羽の滝の水を飲むのもよい。帰り道はこのまま崖下を通り仁王門横までの下りだ。途中右手に、まだ新しい石碑がある。これが最後の手でみる清水寺だ。

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「阿弖流爲 母禮 之碑」と書かれているが漢字が難しい



 これは平安初期、蝦夷の族長として勇猛で知られた「アテルイ」と「モレ」の碑だ。朝廷が送った征夷大将軍・坂上田村麻呂に降服したものの田村麻呂は二人の勇気と知性を愛し朝廷に許しを得ようと京都に二人を連行した。だが田村麻呂の助命嘆願も聞き入れられず朝廷は二人の首を切ったのだ。一見、田村麻呂が言葉上手に二人をだまし都に連行したとも見えるが、そうではない。強すぎる二人をこのまま生かして放っておくことに朝廷は怯えたのだった。坂上田村麻呂はここ清水寺の開山伝説にも関わる人物。1994年、有志により平安遷都1200年行事の一環としてこの碑はこの寺に立てられた。アテルイ・モレともに田村麻呂をもう恨んではいないだろう。
 なんとも伝説の多い清水寺だ。手でみる旅に当寺を訪れる前にネットにてできるだけ清水寺にまつわる多くの話を読んでおかれるとよい。たとえ、さわることのできない建物を前にしても、そこで思い出せる話があるとまた楽しいものでもある。

 最後に、ムツボシくん監修の「清水寺境内図」の点図および「清水寺周辺地図」の点図を希望する人はメール連絡をしてほしい。

○参考サイト
公式・音羽山清水寺「祈り」から十一面千手観音像
 https://www.kiyomizudera.or.jp/pray.php



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