第5回 特色ある盲学校づくりを考える 〜柔道整復科を新設した大阪南視覚支援学校〜


宮城教育大学教授  長尾 博



大阪南視覚支援学校 校舎の写真




1. はじめに

 今回私が訪れたのは大阪府立大阪南視覚支援学校(松村高志校長)である。筆者の学生時代、ここ旧の大阪府立盲学校とは、近畿盲学校野球大会にて何度となく決勝戦で相まみれた間柄である。あの頃は玄関が2階にあるというつくりであったが、なんと5階建ての信校舎となっていた。現時点で全国一新しい盲学校校舎と言えるのだ。最新の盲学校校舎に盛り込まれたユニバーサルデザインの工夫にも興味はそそられるだろうが、みなさんに伝えたいことはこちらである。すなわち、大阪南視覚支援学校(以下、大阪南盲と言う)には視覚障害者に対する職業教育の中でもその根幹を成してきたこれまでの理療科教育を大きく発展させる灯火が昨年度より灯っているのである。柔道整復科の全国発の開設がそれである。全盲者でも柔道整復師として活躍できる道がこの地にて初めて開かれたのである。玄関にて松村学校長、藤井准校長とご挨拶をさせていただき、その柔らかなお人柄に加えて、筆者も根っからの関西人、気さくな大阪弁に違和感なく包まれながら校長室にてお話をうかがった。

2. 柔道整復科開設に至る経緯

 早速、学校長に柔道整復科(以下、「柔道整復」のことを「柔整」とする)の開設までの道のりについて尋ねた。「開設の目的は視覚障害者の職域の拡大です」と松村学校長は即答された。1980年頃より設置計画はあったが当時は柔道整復師会の猛反対を受けて実現できなかったという経緯があったようだ。その後、何度となく柔整科の解説を模索したがかなわずにいたのだ。しかし、ついに、2007年度の「基本計画」に基づくカリキュラムの全面的な見直し作業を進める中で、学科の改編がテーブルにあげられた。この時に柔整科も専攻科(大阪南盲では専修部と言う)に位置づける計画が描かれている。近年、校舎の全面的な立て替えとあわせて2015年度ようやく実現に至ったのであった。その背景にはこのようなことがあると学校長は言う。「従来の専修部の情報処理科と音楽科は昨年度から募集停止、本科の音楽科も今年度から募集停止となっています。これらの専修部については、入学希望者が激減しているというだけではなく、また就職につながらない実態が顕著となってきているのです。」

 こうして、再浮上した柔整科開設の話だが、今回は、柔道整復師会は歓迎の声をあげてくれたという。それは、この開設は公的学校における全国初の柔整師養成課程となる画期的な出来事であると、開設の意義を高く評価してくれているからである。そこで、教員の派遣や今後の重度視覚障害者の国家試験の受け方の検討等進めていくことにも柔整師会からの協力をすでに申し出てもらっており、松村学校長は連携にも手応えがあるようだ。では、三療関係者は柔整科の開設を歓迎したのだろうか。「正直三療関係者からは一部反対があったとは聞いてはいますが、視覚障害者団体からは『「これまで晴眼者の職域であった柔道整復師の領域に視覚障害者が入っていけるようになった』ということを高く評価してもらっています。『接骨の分野では保険の不正請求が問題となっていますが、視覚障害者が参入することで内部からの改革がすすめられる』とも言える」と行ってもらっています。」とは学校長、今回の柔整科の船出を関係者団体も温かく受け止めていることがわかる。

 実は、大阪府立盲学校時代から柔整師養成学校とは無関係ではなかったと言う。大阪府立盲学校は、同じ住吉区内の関西医療学園専門学校の柔道整復学科に、理療科卒業学生を選抜し公費援助の下、3年間派遣するコース「柔道整復委託コース」が従来からあったのだ。弱視の視覚障害者が中心とはなるが、すでに30名を超える方が三療視覚にあわせて柔整師視覚も持って活躍していることとなるらしい。このことはこのたび大阪南盲に柔整科新設が認可されるにあたり、極めて説得力ある実績となったことは疑いない。

3. 柔整科の教育課程

 筆者もそうだったのだが、盲学校関係者や本誌読者の中には、以外と柔整師の仕事や柔整科の学習内容についてはご存じない方も多いのではないだろうか。基礎医学分野においては専攻科理療科と類似しているようだがやはり同じ学問分野でも教える視点が三療師養成と柔整師養成とは異なると言う。また、時間割には「柔道」の時間がある。柔道整復師が治療で行う技術は、昔から伝えられてきた柔道の技の特性を生かして発展してきたものであり、歴史的には、この資格は「柔道の教授をなす者が捻挫や脱臼などの治療を行える」というものだったのだから当然と言えば当然であるが正直少し意外でもあった。

 2015年度開設の柔整科(修業年限3年)には現在16名が在籍している。1年生10名、2年生6名。定員は各学年10名となっている。在学生16名中15名が三療師または理学療法士の視覚を持っての入学であり、この分野の視覚なしの在籍者は1名にすぎない。開設2年目となった今年度の受験志願者は定員10名に対して13名あったと言う。
 柔整科への入学資格は盲学校への入学資格と同じである。ただし、府内に住民票のある視覚障害者である必要がある。

 次に、柔整科において始動できる視覚について藤井准校長に尋ねた。それによると、柔整科の教員になる視覚とは、次の4点を満たす必要があることがわかった。@柔道整復師の視覚を所持していること。A3年以上の現場経験があること。B柔道整復師養成施設教員資格を所持していること(6ヶ月300時間の講習・試験で取得可)。C体育科の教員免許および特別支援学校免許(視覚障害教育分野)を所持していること。

 この4点を満たすのはかなり高いハードルである。文科省が認める学校である以上Cの教員免許状所持は必須だが、なかなか@〜Bを取得された方とCの教員免許取得者は一致しないと言う。そこで、Cの教員免許条については当面臨時免許条を出すことで柔整科教員を採用していると言う。現在の規程では柔整科教員は5名であり、そのうち、理療科教員から柔整科教員となった者が2名と言う。筆者が実際に見学させていただいた「生理学」の柔整科1年の授業を担当しておられたのは前理療科教員の全盲教員であった。

表1 柔整科のカリキュラム表 @
表1 柔整科のカリキュラム表 A


4. 柔整師資格を併せ持つ意味

 次に、柔整科をさらに深く知りたいとの思いから1年生のSさんと柔整科主任の和泉先生にインタビューをさせていただいた。

 柔整科1年生のSさん(全盲男性、48歳)は幼稚部からの富山盲出身者。地元での病院勤務を経て関西の複数の治療院勤務後、今年度4月に入学された方である。まず入学の動機からうかがった。「20数年間治療院で勤務してきた中で、来院される患者さんの中には打撲とか捻挫とか、骨折まではいかなくても外傷性の疾病でこられる方が時々おられて、ついでに診てくれないかなと言われても、ぼくの持っている資格ではそういう患者さんを診ることはできませんでした。また、もう一つのきっかけは病院勤務時代、同僚に柔整師の資格を持つ者がいて、話をしているうちに、彼がやってきた勉強の中身もぼくらがやってきた内容とそれほど変わらいと感じていました。あとは全盲でも資格が取れるのなら取ってみたいとずっとその頃から思っていました。でも、残念ながら全盲の視覚障害者を受け入れてくれる専門学校はありませんでした。」と言われた。

 そこで、和泉先生に「見えなくても柔整師はできるのか?」を単刀直入に尋ねてみた。先生からはまず身につけなければならない法体術を例にして柔整師の仕事から説明をいただいた。

 「看護師が用いる包帯は伸び縮みする包帯なんですが、我々は伸び縮みしない固定のための包帯を用います。靱帯が切れた捻挫の場合、まず患部を安静ににすることが必要となります。そのためには関節の動きを制限しなければならなくなります。そこで副木、シーネと言いますが、これを用いる法体術・固定術を身につける必要があります。柔整師資格があると、整形外科等に診てもらう前のこのような応急措置ができるのです。」
 気になるのは、全盲者でも学習はできるのかである。先生は続けられた。

 「レントゲン写真を理解するという学習内容ではやはり全盲の方は不離があると言えるかもしれません。ただ、立体コピー(触図の一種)を用いて、正常な状態と骨折の状態の2種を提示するといった工夫をしています。このような写真を触って読み取るという機会も経験を重ねることで全盲の方でも十分レントゲン写真は読み取れるのです。包帯術でも見える学生に比べると不離かもしれません。でも、これも、法体術をすべて食察しながら身につけることは絶対可能だと考えています。肌に密着した包帯というのは見える人だけができるわけではありません。必ず手の感覚で確認しないといけないからです。変な皴ができていないか、包帯がどのように走行しているのか等、手で触りながら最適に巻いていくことは全盲の方にも可能です。Sさんも繰り返し時間をかけながら現在『デゾー氏包帯』という難しい法体術を身につけてこられています。」

 先生は柔整科の今後の課題についても次のように触れられた。「柔道制服学の専門科目ではまだ点字のテキスト類がありません。柔整科として点字のテキストを本校独力にて整えるのは正直厳しいです。教員としては学生さんの学びにくさを可能な限り少なくしたいと考えています。そこで、教科書の必要な部分を点薬したりデータで提供したりさせていただいています。この方法では残念ながら予習ができませんが当日の授業や復習には負担のないようにと考えているところです。」この点はSさんにはどう映っているのか。「とても入学して満足しています。立体コピーによる図等もありとてもわかりやすい授業です。環境的にもとてもいいです。」とSさんの満足度も高いものがあった。来年度はいよいよ初めての修了生を出す柔整科、課題はまだあると先生は言う。「また、3年次に行う実習をどのように実施するのかも課題です。実際に怪我をされた方が、都合良く授業時間帯に校門をくぐって柔整科の外来にこられることは考えられません。そこで、次のように現時点では考えています。実際の患者に接することが少なくなる以上、大切なのはロールプレイングだと。実際の患者に触れたことがなくても徹底したロールプレイングで7割以上学習効果を得ることは可能だと考えています。関節が外れたと想定した場合、関節を整復し副木を作成し固定する実技たげでなく、その後の松葉杖の使い方についても指導できるようにする必要があります。車椅子の使い方も含めて徹底したロールプレイングをすることで実際の患者への対応に相当する実習効果をあげたいと考えています。」

 最後に、三療師資格をすでに持つ視覚障害者にとって柔整師資格を併せ持つことはどのような意味があるのかについて聞いてみた。Sさんは卒後の夢をこう語ってくれた。「卒業したら開業したいと考えています。『鍼灸・整骨院』としてです。お客さんは増えると思います。整骨院の分野では保険も扱っていきたいと考えています。鍼灸・マッサージだけでなく、整骨院としても地域に溶け込んで地域の人に愛される『鍼灸・整骨院』になりたいです。卒業したら50歳になりますが、それがささやかな私の夢です。」

 Sさんからは保険取り扱いの話が出た。そこで、三療師は医師との連携がないと保険が扱えないのだが柔整師資格ではどうなのかを先生に尋ねてみた。「患者さんがこられたら、症状と怪我との因果関係、いつ・どこでどんなふうになったのかということを明確にし患部を評価した後、明らかに外傷性と判断できれば保険による療養費請求はできます。保険扱いに対して医師の同意は必要はありません。ただ、あくまで外傷性で急性のものに大してです。慢性のものに対しては取り扱えません。」との回答だった。
 このように保険取り扱いができるのは確かに柔整師資格を持つメリットとなるだろう。そして、インタビューの中でなにげなく口からもれた和泉先生の次の言葉が心に突き刺さっている。それは「一般の傾向としまして、晴眼者は鍼灸視覚とともに柔整師の視覚も持って開業するという流れがあるように思います。」と語られた事実である。医療類似行為を職業とする晴眼者はすでに両方の資格を取得することを治療院開業の条件として意識しているのである。

5. 大阪南盲が目指す盲学校像を考える

 このように職業課程の改編を通して特色ある盲学校づくりに踏み出している大阪南盲にインクルーシブ教育時代の盲学校のさらなる歩き方について尋ねた。松村学校長がまず堰を切ったように話されたのは次の点であった。「特別支援学級はすべて、支援学校の分教室にしてはどうかということです。すなわち、弱視学級は盲学校の分教室と位置づけるのです。その方が人の配置もよくなります。兼務辞令を発令して普段はその地域校に出金するスタイルがとれます。特に、知的障害では支援学校の在籍数も増加しており、支援学校だけでは対応しきれない現状も見えてきています。また、弱視学級を見ると、その地域校に一回弱視学級を作っても3年もしくは6年で途切れるケースが多く、その後、同じ学校に弱視学級ができるのは10年後、20年後というケースも少なくありません。ということは地域校に一度できかけた弱視教育の財産は何も残らないこととなります。弱視学級発祥の地・本田小学校も弱視学級はいまは成り立っていないと聞いています。」

 そこで、大阪府で弱視学級の数はどれくらいか、尋ねてみた。小学校が31学級(53人)。中学校が11学級(21人)と言う話だ。74人の視覚障害児(生)が地域校に学んでおり、この地域校の42学級に視覚障害教育の現場があることとなるのだ。学校長の話は続く。「このように地域校との兼務となれば、盲学校教員にとってもメリットは大きいのです。在籍者の障害の重度重複化の率が高まる中、いわゆる準ずる教育に関する指導内容・指導方法の研鑽が本校内だけでは不十分となって久しいのです。」地域校に盲学校教員が出て行き実際の指導をさせてもらえるようになれば、これまで盲学校で蓄積してきた指導法などが財産として盲学校を中心とする視覚障害教育界にも確かに残ることとなる。これは、筆者が2008年来本誌等を通して主張してきた内容と奇しくも一致する(注)。
 次に、生徒減の視点から大阪南盲の取り組みを考えてみよう。大阪南盲も今年度は在籍109名となり、20年前の216名と比べるとちょうど半減したとのことだ。しかし、柔整科への志願者は定数を確保していく可能性を含んでいる。

表2 過去20年間の在籍者数の推移

 筆者は、全国的には生徒減は小・中学部でそろそろ底をつく時期が来ると思うが、理療科の生徒減は今も顕著であり問題であると考える。しかし、この大阪南盲の取り組みは理療科を中核とする盲学校の職業教育に光をもたらすと筆者は考える。今後の視覚障害者治療師は三療師資格と併せて柔整師資格を取得するのがやがてスタンダードとなることが予想される。というかそうしないと晴眼者の治療院経営に立ち向かえない時代がそこに来ていることを盲学校はチャンスと受け止めてはどうだろうか。他の都道府県盲学校において、まずは1〜2校にこの柔整科開設の動きが伝播すれば視覚障害三療師を取り巻く状況は変わるだろう。一旦三療師として世に出た治療師も再教育の場として盲学校柔整科に戻るという現象が起きるかもしれないのだ。その意味でも、大阪南盲の柔整科の発展およびその修了生の今後の活躍には注目である。また、特に、柔整科を修了した大阪南盲出身者の中から、母校はもとより、他の盲学校柔整科開設時に教員として迎えられる者が現れる可能性に注目したい。一概に夢とは言えない気がする。すなわち、新職業とも言える柔整科教員への道を大阪南盲は視覚障害者のために拓いたとも言えるのである。

6. おわりに

 この連載も第5回の本号をもって一旦終了とさせていただく。「斜陽」と表現されてしまう盲学校だが、「何も恐れることなく実践・研究を続けてほしいこと」地域校には根ざさない盲学校でないと熟成できない教育があること」「‘視覚障害者として生きるという意味’を子どもとともに考え続けてくれる教員が盲学校には必ずいるということ」、この3点の願いや思いを取材を重ねるごとに強くした1年であった。本連載は現代盲学校論としては竜頭蛇尾となった感があるが、機会を見てその結論部分をいつか本誌にて発表できればと願っている。

(注) 長尾博, 特別支援教育時代における盲教育はだれがどこでするのか?, 2008, 月刊「視覚障害」244号, 視覚障害者支援総合センター, pp15-25. 他参照

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